ジェイル・ザ・ゲイム-Jail the Game-11
息が止まない。肺が、喉が、痛い。
頭や手足、至る所から血が滴っていた。足に力が入らずしっかり立つこともできない。
情けねぇ…。
「さっきまでの威勢はどこにいったのかしら?滑稽ね。」
女はくすくすと嘲笑を投げる。
刀を地面に刺してそれを支えに立ちながら、朝兎は女を睨んだ。
「そろそろ観念なさい。」
すると女は手に持っている鞭を巧みに操り、朝兎の足を絡め取る。
まんまと足を払われ逆さ吊りの状態になった。
目の前で女が笑うのがわかる。
するとポケットから懐中時計がするりと滑り落ち、空中へと晒された。
しまった―――。
それを掴み取ろうと足掻くが、寸前のところで手が届かない。朝兎の指先が空を掴む。
しかしその時、別の誰かが宙に舞った懐中時計を掴み取った。
そして朝兎の足に絡みついた鞭を断ち切る。
朝兎の体は自由を取り戻したものの、逆さまになったまま地面に体を打ちつけた。
体を動かせぬまま口を開く。
「なんで来たんだよ…。」
すると目の前にいた少女は懐中時計を持ち、振り返って言った。
「目の前で死にかけているヤツを放っておけるほど、腐ってはいないからな。」
そう言ってアリセは朝兎に微笑み時計を投げた。
それを手で握り締め、にやりと笑う。自然と笑みが零れ落ちた。
「パクってんじゃねぇよ。ってか死にかけてねぇし。」
すでに機能を失いかけていた手足に力が宿った気がした。
まるで血液のように体の隅まで行き渡る。じわじわと感じる。
「立て、アサト。こんなところで負けている場合では無いだろう?」
希望に満ちた瞳でアリセは手を差し伸べる。
朝兎はその手を取り、強く立ち上がった。
「一旦ロウを解除しろ。私はあの女を、お前はあの怪物をやれ。」
「別々のロウに入れて一対一に持ち込むって訳だな?わかった。」
朝兎はロウを解除する。
そしてボトム一匹だけを取り込むように再び有刺鉄線の檻を形成し、アリセも同様に調教師の女だけを取り込んでロウを解放した。
「成る程、考えたわね。」
女は意味深な笑みを浮かべる。
「無駄口を叩く暇などあるのか?」
アリセは鎌を振り上げて女に襲い掛かる。
刃を向けて攻撃を仕掛ければ、女はそれを鞭で絡めとり、寸前のところで制止をかける。
一陣の風が二人の間を通り過ぎた。
「まずは貴方から片付けてあげる。かかってらっしゃい。」
鳥かごにアリセと調教師の女、そして有刺鉄線の檻に朝兎とボトム。
決められた範囲内での戦いが始まった。
状況的には圧倒的不利。
ボトムには一度大きなダメージを与えたが、それからは小さなかすり傷程度のものしか与えられていない。
それに比べて朝兎の負傷は見た目にも明らかな重傷ばかりだった。
そんな状態にも関わらずアリセは自分にボトムを任せてくれた。信じてくれている証拠だ。
だから、応えなくてはならないんだ。
勝たなければ意味が無い。
「リベンジマッチだ。来い、木偶の坊。今度こそ立てなくしてやるよ。」
そう言って朝兎は刀を構える。
ボトムは咆哮と共に殴りかかってくる。
それを刀の刃の面で受け止め、振り払い顔面を蹴り上げる。
鈍い声を漏らしながらボトムは顔を手で覆い、よろよろと後ずさった。
それを見計らって勢いをつけて足首を斬り付けた。
「おらぁっっっ!」
ボトムの足から黒い靄があふれ出す。それなりに深いダメージを与えられたか。
漆黒に染まった霧のせいで視界が曇る。
油断したせいかボトムの腕が靄の中から現れ、朝兎の体を掴んだ。
「かはっ!げふっ、げひっ…!」
めきめきと骨が軋む音が自分にもわかった。肺が圧迫される。息ができない…。
目の前には煌々と鈍く光る赤い目玉。
視界が霞んでいく。
意識が朦朧としていく中、頭に誰かの声が響いてきた。
誰の声かもわからない。何を言っているかもわからない。
けれど確実に胸に響いてくる―――。
「…届いてるぜ、あんたの言葉。」
朝兎はボトムの手を振りほどこうとして渾身の力を込めた。
自分でも想像以上の力が湧いてくる。
段々と握り締められていた拳が緩んできたのを見計らって、朝兎はボトムの目玉を刀の切っ先で突き刺した。
―――遠吠えのような悲鳴が鼓膜を突き刺す。
ボトムはその痛みと衝撃から逃れようと朝兎の体を檻に向かって投げつけた。
体はまるで人形のように振り払われ、檻に体を叩きつけられるのも時間の問題だ。
しかし朝兎は空中で体を回転させ、体勢を整え、壁に足をつく。
ぐっと膝を曲げ勢いと衝撃を利用し、そのままの反動で壁を蹴った。
体は勢いを増して弾丸のようにボトムの体へと向かっていく。一直線に、曲がることなく。
「ああああああああああああああああああっっっ!!!」
声を上げながら全身全霊を込めて刀を振り下ろした。
ぎらついた刃はボトムの両腕を掻い潜り、胴体に辿り着き、それを真っ二つに断った。
切り裂いた場所から黒い煙のような濃い物質が溢れ出す。
やがて両断された上半身も下半身も、霧になって宙に舞い、消えていった。
その後に小さなチェス駒が残され、軽い音と共に地面に落ちた。
それを拾い、深い溜め息をつく。
一時だが安心感がどっと雪崩のようにやってきた。
やっと倒した。自分の手で、自分の力で、勝った。
あとはあの女だけだ。
想像以上に手強い。正直、舐めてかかっていた。
互いに一歩も譲らない状況が続く。
アリセが攻撃をすれば相手がかわし、女が攻撃をすればアリセが回避する。
そんなことが延々と繰り返されていた。
すると朝兎のロウの中でただならぬ咆哮が響く。
視線をそちらに向けると、ボトムの体が真っ二つになっているのが見えた。
「…私の可愛いボトムを。憎いわ…坊やも貴方も。」
至って穏やかに見えるが、胸の内は憤怒の情が煮えたぎっているのがわかった。
するとアリセのロウの中に朝兎がやって来る。
「加勢する。」
「その体で何ができるというのだ。」
「うるせぇな、とっとと片付けちまおうぜ。一人より二人のが早いだろ。」
休んでいてもいいというのに…。内心そう思ったが、アリセは嬉しかった。
自分の為に身を呈してゲームに参加し、ボトムを一匹片付け、こうして助太刀してくれた。
その姿を見てユートを思い出す。もう、誰も失ったりはしない。
「言っとくけど俺は女は殴れないからお前がやれよ。」
「は?今さら何を弱気なことを言ってるんだ。」
「いやいや、弱気とかそういう意味じゃなくてよ。」
「ならば何だと言うんだ。」
「だからさ、親の教育ってかなんて言うか…。」
「アサトは私のことを叩いたりするじゃないか。」
「あんなの叩いた内に入らねぇだろ!」
そんなやり取りをしていれば、調教師の女は苛立ったように鞭を地面に打ちつけた。
「内輪揉めはそのくらいにしてくれる!?私、今凄く苛立ってるの!」
最後の言葉を吐いたと同時に鞭が飛んでくる。
二人は咄嗟に避け、朝兎は右に、アリセは左に進路を取った。
アリセはそのままの勢いで鎌を振るが容易く回避される。
すると女は鞭を上空の鎖に絡め、空中に体を投げ出した。
「乗れっ、アサト!」
反射的に状況を判断し、朝兎は寝かせられた状態の鎌の背の部分に足をかけた。
「行っっっけええええ!」
アリセが思い切り朝兎の乗った鎌を振り上げた。
タイミング良く跳ね上がり、朝兎も上空へと飛ぶ。そして頭上にある鎖を掴んだ。
そこにすかさず朝兎の足を狙った生き物のように、鞭が飛んでくる。
「同じ手は食わねぇよっ!」
腕と腹に力を入れて足を持ち上げ、今度は膝の裏に鎖を挟み、逆さ吊りの状態になる。
そして丁度目の前に来た鞭を掴み思い切り引っ張った。
「いやあっ!」
小さな女の悲鳴が響き、体が鞭に引かれて投げ出される。
地面へと落下していく女の姿を上空から見つめる。
―――あとはアリセの出番だ。
アリセは飛び上がって女の服を掴み、容赦なく鎖に向かって体を放り投げた。
そして体を強打して倒れ掛かっている状態の女に向かって、鎌を振りかざす―――。
しかし目の前を覆うように漆黒の布が広がった。
アリセの攻撃は当たらず、女の前に立ちはだかったのは仮面をつけたマントの男。
「団長!おやめ下さい!今はつい油断をっ!」
奇印サーカス団の団長は女の前に立ちはだかり、庇うようにマントを広げた。
「アリセリア・シュワルツマドンナ、ここは退いては頂けませんか?」
「愚問だ。退け。」
「団長、私なら平気です!ですから!」
「貴方は少し黙っていなさい。
私はいつでも手を下せる状態でしたが、それをせずに傍観していた。しかし貴方は彼に手を貸し、二体一で彼女を襲った。こんなにも不合理なゲームがあっていいのでしょうか。
それに私とて彼女を失うのは惜しい。既に一匹のボトムを失っていますからね。
それに貴方も傷だらけの彼を戦わせるのは胸が痛いでしょうに。
ここは互いに見逃すという形で終わらせませんか?」
アリセは朝兎に目をやった。
確かに、今の戦闘で力の差は明らかだ。ボトム一匹に朝兎はここまで傷つき、女に対しては二人がかりでなければ敵わない。
ため息をついてアリセは納得したように大鎌を下ろしロウを解除した。
それでアリセの胸の内が読めたのか、団長は礼をする。
「お分かりいただけたようで嬉しい限りです。それではまたお会いしましょう。その時は、命を落とす御覚悟で…。」
そして団長がマントを翻すと、そこには静寂だけが取り残されていた。
公園はいつもと同じ姿を取り戻し、夕暮れは終わりを告げようとしていた。
朝兎は胸の中に何かが芽生えるのを感じる。
それは何とは明確にはわからないが、懇々と暖かな何かが溢れ出るような、そんな満足感で満ちていた。
夕陽を背に、アリセが立っている。
それを見て小さく微笑んだ。アリセも柔らかく笑った。
「やっぱり死にかけじゃないか。」
その言葉に朝兎は苦笑した。確かに、今の自分の姿を見てそれは否定できない。
「お前は馬鹿だな。ゲームになど参加して、ボロボロになるまで戦って。」
「馬鹿はどっちだよ。勝手に死ぬような真似しやがって。次やったら俺がこの手で殺してやるからな。」
そして頭をがしがしと撫でる。
「もう二度とあんなことすんなよ。」
前に、誰かに同じように頭を撫でられた気がした。
その人も同じように笑って、同じように乱暴に、でも優しく撫でてくれた。
「お取り込み中、水を差すようで悪いんだけど。」
二人に向かって言ったのはレイトだった。
「あの二人、家に帰しといたから。あとサービスで記憶も取り除いといてあげた。勿論ジェイルの記憶だけ。」
「レイト…ありがとう。」
「礼なんていらないよ。今回だけだからな。」
そして後ろ手に手を振り、消えていった。
「あいつ、案外いい奴なのかもな。」
朝兎がぽつりと呟けば、アリセは微笑んで言った。
「いい奴かはわからないが、悪い奴では無い筈だ。」
何もかもが静かで、穏やかだった。
言いようの無い爽快感が朝兎を包む。きっと何かが自分の中で大きく変わった。
銀色の懐中時計を見ながら確信する。
三日前まで何の関係も無かった少女が今ここにいる。
息をして、瞳を輝かせ、脈を打ち、生きている。
それだけでいいと思った。
家に帰り、玄関で出迎えたのは瑞季と叱咤の声だった。
「朝兎…何よその格好と怪我!また喧嘩でもしてきたんでしょう?全く、アリちゃんまで巻き込んで何してるのよ…。」
二人の姿を見て心配をしながらも瑞季は声を荒げた。
本当の理由など説明できる筈も無く、朝兎が適当に誤魔化す。
「母さん、あの、ほら…二人でチャリに乗っててさ、それでこう坂道を猛スピードで下ってたんだよ!そしたらアリセがバランス崩しやがって…。」
「アサト!私のせいにするのか?」
「お前は黙ってろ!話がややこしくなる!」
言い合う二人を見かねて瑞季は呆れたように口を開いた。
「もういいから。とにかく上がりなさい。話はそれからきっちり聞かせてもらいますから!」
最後の言葉に二人は肩をすくめる。
そして顔を見合わせ、笑ってしまった。