ジェイル・ザ・ゲイム-Jail the Game-2








心の何処かで小さく思った。
今日はずっと自分の意思に反しながら行動を起こしていると。

売られた喧嘩を買い、行く気の無かった学校にも行き、聞く気も無いクラスメイトの話を聞き、不本意ながらラブレターを貰い、落し物を落とし主に渡す為に走る始末。
本当に今日はらしくないことばかりだ。
うんざりとしながらも朝兎は地面を蹴った。




もうどれくらい走ったのだろうか。
渇く喉、弾む息、辺りを見回しても真っ赤な西日が射す中に人影は見えなかった。
朝兎は歩調を緩め、辺りを見る。大きく息をついて呼吸を整えようとすると、遠くでそれを嘲笑うかのようにカラスが鳴いていた。

あの少女は何処かへ行ってしまったのだろうか。

ふと懐中時計に視線を落とす。
突発的に追いかけてはみたものの、渡すことはできないのだろうかという思いが過ぎった。
懐中時計は上蓋に金色の装飾が施された美しい代物だった。
安物のようには見えない少し大きめの時計。
耳をすませてみればきちんと秒針を刻む音がする。それを確かめるようにリューズを押して文字盤を見ると、これも見事な装飾文字や絵で埋め尽くされていた。

しかしそれ以上に驚いたことは、これと似たような物を自分も持っているということ―――。

朝兎は自分の持っている懐中時計を征服の内ポケットから取り出した。
見比べてみると、より似ているという事がわかる。
朝兎の持っている懐中時計は少女の落とした物よりも小振りで、派手な装飾はされていない。至ってシンプルな懐中時計だった。

しかし似通った点がいくつかある。
文字盤の装飾文字のデザインがそっくりなのと、外蓋の装飾も同じように見える。

それにこの時計の持つ雰囲気―――。

気のせいだとはわかっていても、何か同じ波長のようなものを感じてならなかった。
そして諦めかけていたが、やはり渡さなければならない物だと思い直す。


再び辺りを見渡せば、すぐ傍に公園があるのに気付いた。
ふと中を探るように見れば、かすかに人影が見えたような気がし、朝兎は半信半疑で公園へと足を踏み入れた。
夕陽に照らされて逆光になっている上に、相手がこちらに背を向けているので顔まではわからない。けれどツインテールの髪型はしっかりと確認できた。
そこで小さな確信が芽生える。あのツインテールの少女に違いない。
朝兎はほっと安堵の息を漏らし、少女に声をかけようと近付こうと足を踏み出した。

しかし待てよ。なんと声をかけたらいいのだろうか。

頭の中に歯止めをかける何かがあった。見ず知らずの人間に声をかけるのは少し抵抗があった。
そんなことを考えていると、ツインテールの少女が小さく口を動かしているのに気付く。
誰かと話しているのかと思ったが、近くには誰もいない。独り言か?
一先ずこの時計を返そうと朝兎はおずおずと忍び寄り、声をかけようとした。

「あんた、ちょっといいか?」

聞こえているのかいないのか少女の反応は無かった。
もう一度声をかけようとした瞬間、少女は右手を上げ、何をするかと思えば自身の髪を結っている薔薇の髪飾りに手を伸ばした。
それをむしり取り、花びらを宙にそっと放つ。


静寂が広がる―――。


その静寂を破るように、けたたましい音と共に地面から何かが突き出た。

「うおっっっ!」

一瞬、何が起こったか把握できなかった。
咄嗟に後方に身を避け、地面から飛び出したソレを交わしたが、手先をかすめたのか小さな切り傷ができている。
やっとほんの少しの余裕ができ、ソレが何なのかを見定めようと目を凝らした。

「―――鎖?」

地面から湧き出たのは太い鎖のようで、よく見れば少女を取り囲むように四方八方から天に向かって伸びている。
金属と金属が擦りあうような嫌な音。
それらは少女の遥か頭上で絡まり、結び合う。

遠目から見ればそれはまるで鳥かごの形を成しているようだった。


巨大な鳥かごの中にぽつんと囚われた少女。
傍から見ればそんな状況に見えるだろう。

朝兎は目の前の現実が受け入れられなかった。否、頭が理解するのを拒否している。

「なんだよコレ…。」

口に出すしか術がなかった。
先程走った時よりもずっと激しく心臓は鼓動を打ち、息も上がる。これは興奮や恐怖ではない。人間は突然、目の前で予想外のことが起こるとどうしていいかわからなくなる。
今が正にその状況だった。
ただ口を開けて呼吸をし、目の前の状況を必死で理解しようとする。

これは現実なのか、それとも夢なのか。夢ならばそうであってほしい。
しかしその願いも虚しく、鳥かごの中の少女は朝兎を見据え口を開くのだった。

「貴様、何者だ…?」

少女は大きな瞳を凝らし、朝兎をじっと見つめた。
まるで奇妙な呪いにでもかかったような気分だった。渇きで喉が張り付いて声が出ない。
見た目は中学生程の背丈と顔つきなのだがどこか威圧感がある。

逆らえない何かがあった。
漆黒の髪をツインテールに結い上げ、着ているのは真っ黒のケープ付きのワンピース。普通の少女となんら変わりは無いというのに…。

「何者だと聞いている。何故こんなところへやって来た。」

何故か苛立ったように尋ねる少女に、朝兎はやっとのことで声を絞り出した。

「あ、あんた、懐中時計落とさなかったか?ほら、コレ!」
言わなければいけないことなど、聞きたいことなど山ほどある筈なのに、口をついて出たのはこの言葉だった。

時計を見せ付けるように取り出す。
朝兎の必死な形相とは打って変わって、少女は冷淡な表情で溜め息をついた。

「はぁ…全く厄介なことになったな。
時計を届けてくれたことには感謝しよう。礼を言う。しかし話は事が済んでからだ。」

事が済んでからという言葉を理解するのには、そう時間はかからなかった。


朝兎が疑問符を浮かべていれば、少女はそんなことは気にも留めずに地面に片足をついてしゃがみこんだ。
何をするのかと見ていれば、地面に手を差し入れ始めたではないか。

少女が手を入れた部分だけがまるで水のように液体化し、ずぶずぶと飛沫を上げながら細い腕を受け入れていく。
不可解な現象ばかりで頭が破裂しそうだ―――。

地面に入れた腕を少女は勢いよく振り上げ、何かを取り出したように見えた。手には何かが握られている…。
―――それは、身の丈以上ある大きな鎌。
長い柄に、鋭い刃がぎらぎらと光っている。夕陽に浮かぶその姿は死神を思い起こさせた。

「さぁ来い。叩きのめしてやろう。」

少女は軽々と大鎌を肩にかけ鳥かごの中に立っていた。
それは何故か凛としていて、宙に舞う花びらがそれを際立たせていた。


そんなことを考えていると、突然耳を劈くような咆哮が聞こえた。
耳を塞ぎたくなるほどの不快な轟音。その音の強さゆえに体がびりびりと震える。
思わず顔を歪めて檻の中を見ると、言葉を失うような光景がそこには広がっていた。

少女が対峙するのは狼のような怪物―――。

しかし狼よりは何倍も大きく、体には黒い靄のようなものを纏っている。まるで霧でできた怪物だ。見るからに凶暴そうな怪物は、涎を垂らしながら息を荒げていた。
見たことも無い生物に鳥肌がぞわぞわっと全身を駆け巡る。
だが少女は臆することも無く大鎌を構えた。

「ここは貴様が生きるような場所では無い。闇へ還れ、ケダモノめ。」

もう何が何だかわからない。
頭の中がむず痒くて仕方が無かった。


怪物が動き出すよりも前に少女が先手を取る。
人間には成しえないような速さで獣に向かい突進し、横薙ぎに大鎌を振る。
その威力を示すかのように一陣の風が吹いた。あの華奢な体はどれだけの力を秘めているのか。

一連の動きを目で追うだけでも必死だ。
しかし獣は少女の攻撃を軽々とかわし、頭上高くへと飛び上がる。これも普通の動物には有り得ないような跳躍力だった。

「ちっ!」

小さく舌打ちをしながらも、少女は鳥かごの鎖を蹴り上げながら怪物の後を追う。
まるで重力など感じない軽やかな動きで空中へと身を投げ出し、大きく鎌を振り上げる。
そして渾身の力を込めて振り下ろした。

それと同時に鼓膜を突き破るかのような悲鳴―――。

空中で身動きを取ることは難しく、致命傷は避けたものの獣の前足には鎌の刃の先端が刺さっていた。そこから黒い靄が溢れ出す。あの怪物の血液のようなものだろうか。
咆哮と悲鳴が入り混じった声を発し、獣はその大きな体を地面へと打ちつけた。

それに続いて少女が着地をする。
体勢を整え鎌を構えれば、獣は前足を庇いながらも必死に立とうとしていた。

「貴様の居場所はここではない。失せよ。」

少女は止めをさそうと大鎌を振り上げた。


しかし一瞬にして様子がおかしくなった。
振り上げられた鎌は一向に振り下ろされることは無く、少女自身も何が起こったのか理解できていないようだ。

まるで地面から何かに引っ張られているように見える…。

目を凝らして足元を見てみれば身動きが取れない理由がそこにあった。
少女の足元だけが再び水面のように変化し、そこから何かが生えるように出ている。
まるで人間の腕のようだった。
しかしその腕も目の前の怪物同様、黒い靄を纏っている。

「っっっ!くそっ!」

その腕は少女の両足をがっしりと掴み、決して離すことは無い。

早く振り払っちまえばいいだろ、あんなもん!さっきあれだけ人間離れした動きを見せていたんだ。あんなものどうにかなるだろ!

しかしその心の声が届くことは無く、少女は必死にもがくばかりだった。
そんなことをしている間にも獣は前足を折りながらも立ち上がろうとしている。

「何やってんだよ…!」

このままでは少女が危ない―――。

咄嗟に浮かんできた言葉だった。
目の前の状況は何一つ理解できないし、ただ傍観することしかできない。しかし今やるべきことが目に見えたような気がした。
もたもたしている暇は無い。一刻を争う状況。

「くそっ!」

何かに急かされる様に、朝兎は立ち上がって鳥かごの形を成す鎖に手をかけた。


まるで電流が流れるような痺れと、手のひらが切れるような痛みが走る。

「ぐああああっっっ!痛えぇぇっ…くそっ!」

既に血が地面に滴っている。痛みも尋常では無い。
けれどそんなことを気にしている暇は無いと思った。そんなことを考えるのすら忘れている程、目の前の人間を助けるのに必死だった。

「やめろっ!手が千切れてもいいのかっ!」

てめぇはそんなこと言ってる余裕あんのかよ…。

「うるせえっ…!目の前で死にかけてるヤツを放っておけるほど腐っちゃいねぇんだよっ!」

鎖を左右にこじ開ける。手のひらの激痛のせいで力が入らないのがもどかしい。
歯を食いしばり、渾身の力を込めれば、徐々に隙間が広がっていく。
ふと鳥かごの中に目線をやれば、よろめきながらも立ち上がった獣が目に飛び込んでくる。

まずい、早くしなければ―――!

朝兎は声を上げながら鎖をこじ開けた。

「来るなっ!」

少女の言葉など耳に入らなかった。

やっとの思いで人一人通れる隙間ができ、そこに身を滑り込ませるようにして鳥かごの中へと入る。勢い余って地面に倒れこんでしまったが、すぐに手をついて転がるように立ち上がる。
獣はついに咆哮を上げ少女に襲い掛かった。

「ちっくしょっ…!」

考える暇も無かった。体が勝手に動く。
力を振り絞って少女のもとへ走る。このほんの少しの距離が遠い。
正面には少女の背中と、それに向かって牙を剥き出す怪物―――。

「伏せろっ!」

朝兎が思い切り地面を蹴れば、少女はタイミングよく身を屈めた。
その上を飛び越え、跳躍力をそのままに朝兎は蹴りを繰り出す。

そして怪物の顔面を狙って足を叩き込む―――!

「くたばれっっっ!!!」

蹴りは見事に獣の首にめり込み、その体ごと吹っ飛んで鳥かごに体を勢いよく打ちつけた。
鎖に肉塊が打ち付けられ、もの凄い音が辺りに響く。

それから獣が動くことは無かった。




朝兎は息を弾ませながらその場に座り込んだ。手のひらと足がジンジンと痺れている。

鳥かごの隅で横たわった獣は黒い霧へと変わり、空中を浮遊していく。
それが一つの塊となって真っ黒なチェスの駒へと変化した。
すると周りの鎖がずるずるとゆっくり地面へと沈み、そこは何の変哲も無い公園へと姿を変えた。

「醜態を見せてしまったな。」

地面に落ちたチェス駒を拾いながら少女が言った。
既にその手中から大鎌は消えている。

「ヴァーメインを蹴り倒したヤツなど初めて見たわ。」

少女はそう言って柔らかく笑う。
薔薇の花びらが目の前を舞っていった。







 静まりかえった公園のベンチで、朝兎は傷の手当を受けていた。
手のひらは酷い傷でズタズタになっている。

「悪いな、私のせいでこのような目にあわせてしまって。」

包帯を巻く前に少女は薔薇の花びらを手のひらに添えた。それを包帯と一緒に傷を覆っていく。

「いや、俺が勝手にやったことだし。それにあんた、あのままじゃ死んでただろ。」

「死にはしなかった。私はそこまで弱くは無い。」

折角助けてやったというのにこの言い草。
あれは間違いなく死んでいた、と心の中で言い聞かせる。
いつの間にか両手のひらには包帯が巻かれていた。

「それより先程の時計。あれを返してもらおうか。」

手のひらを返すように少女が言い放つ。この女はもう助けてもらった恩を忘れたのか?
少し返すのを渋りたくなる。

「アレは私の大切な物だ。早急に返してもらいたい。」

少女は催促するように手のひらを差し出した。少し腑に落ちない部分はあるが朝兎は渋々金色の懐中時計を差し出す。
元々はこの少女の物だ。返すのが当然の行為なのだから。

「ほらよ。拾って届けてやったんだから感謝しろよ。」

「恩着せがましいぞ。」

減らず口が。朝兎が懐中時計を差し出せば、少女は奪うように時計を手に取った。そしてリューズを押して文字盤を見る。
時計が動いているのを確認すると、少女はほっとため息をついた。

「よかった…。」

まるで宝石を扱うように手で包み込む。それ程大事な物なのだろうか。

「貴様、名は何と言う。」

「あ?」

「お前の名だ。教えて欲しい。私の名はアリセリア・シュワルツマドンナ。」

「長っげえ名前。どっからが名字かわかんねえよ。」

「五月蝿い。私の名前は教えたぞ、お前も教えろ。」

「鴫野朝兎、よろしく。」

素っ気無く答える。
名前なんてどうだっていいと思った。これから先もう会うかもわからないというのに。

「やっぱり…。」

しかし少女の表情は豹変した。その顔は言い表し難い表情を浮かべる。
言うならばそれは驚きと、歓喜と、懐古が入り混じったような―――。

「シギノアサト、私はお前を探していた。」

「は?」

「理由は薄々気付いているのではないか?」

二人の視線が交わる。
薄々気付いている?本当は気付きたくなかった。だから自分の中でずっと嘘をつき続けていた。
単なる勘違い、思い違い、理由などそもそも無くて、少女は首をうなだらせて帰っていく。
それがオチだと信じたい。



「アサト、お前も同じような時計を持っているだろう?」











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