ジェイル・ザ・ゲイム-Jail the Game-3









何故こんなにも面倒なことになったのだろうか。鴫野朝兎は自分自身に問いかける。
けれどそんなものは皆目検討もつかないし、それを考えるのすら面倒だった。
大きくため息をついてドアノブを握る。

何度も頭の中で繰り返し練習した。また大きなため息をつく。

大丈夫、俺はやれる!

朝兎は自分を奮い立たせてドアを開けた。

「ただいま。」

春先の夕暮れはまだ少し寒く、ほんのり温かい空気が家の中から漏れてきた。

「朝兎、遅かったのね。今、凛ちゃんに電話しようと思ってたとこ。」

そう言って出迎えたのは朝兎の母親、鴫野瑞季だった。
彼女の言う『凛ちゃん』とは芹沢凛悟のことだ。

「心配しすぎだって。俺もう高校生だし。」

「高校生でも子どもは子どもじゃない。お母さん朝兎のこと大好きだから心配なの。」

こういう恥ずかしいことを何の気も無く言ってしまうような母親である。

「あ、母さん。あの…話があんだけどさ。」

「なぁに?」

「今日、家に泊めたい子がいるんだけど…。」

「凛ちゃん?明日ちゃんと学校に行くならいいわよ。あと凛ちゃんのお母さんと…。」

「芹沢じゃなくて!えっと…ほら、出てこいよ。」

しどろもどろな朝兎の背後から出てきたのは、ツインテールの少女。俯き加減でワンピースのスカート部分を両手でぐっと握っている。
瑞季は少女の顔を覗き込んだ。

「俺の友達の親戚なんだけど、ちょっとだけ預かって欲しいって言われてさ!どうしてもって言うから断れなくて…。」

朝兎がバレるかと思いハラハラしていると、瑞季はにっこりと笑顔を見せた。

「ご両親はいいって言ったの?」
朝兎が少女を腰で突っついてやると、ツインテールの少女は無言で朝兎を見る。
それから口を尖らせながらも頷いた。

「名前は?」

「あー…えっと…アリセ。」

「そう。よろしくね、アリちゃん。」

瑞季がにっこりと笑うと、アリセは顔を赤らめて朝兎の後ろに隠れた。



朝兎が部屋の扉を閉めると、アリセはどかっとベッドに座り込む。
朝兎は今までより一層大きなため息をついて床に座り込んだ。

「母さんがバカでよかった…。」

「馬鹿は失礼だろう。いい母親じゃないか。」

朝兎はジロリとアリセを睨んだ。
全く、誰のせいであんなくだらない嘘を吐いたと思っているんだ。

そもそもアリセが朝兎の家に転がり込んできた理由は数時間前にある。
朝兎が持つ銀色の懐中時計が欲しいと言う少女、それを頑なに断り続ける少年。
もう暗くなってきたから帰ると告げれば『お前が時計を渡すまでついていく』ときたものだ。母親が心配するのは目に見えていたし、何より陽がとっぷりと暮れていた。

ついてくるアリセを無視してやって来たのが間違いの始まり。
そういう訳で押し問答は未だ続いている。

「それを貰わなければ私は帰ることが出来ない。」

「だからよ、何回言われても俺は渡さない。見ず知らずの素性も知れない奴にやれるかよ。俺にだって渡せない理由くらいあんだよ。」

朝兎は勉強机とは名ばかりの机から椅子を引き出し、座った。

「理由?」

少し表情を曇らせる。本当はこんなこと、初対面の人間には言いたくない。

「死んだ…親父の形見なんだよ。」

少女の表情は変わることは無かったが、どこか納得したような顔をしていた。

「そうか…。しかしアサトに理由があるように、私にも理由があるのだ。先程目の前で起こった不可思議な現象、お前には全てを知る権利がある。」

すると思い出したように公園であった出来事を思い出す。

あの無数の鎖で出来上がった檻、その中で息をしていた怪物、一体なんなのか。
もう自分の脳はそれを消去しようと活発に運動していたのだろう。人間の脳は都合のいい仕組みになっている。自らが消したい記憶は自ずと消えていくのだ。

「もう、全部信じられねぇしわかんねぇよ。あんたが一体何の為にここに来たのか、なんでそこまでして俺の時計が欲しいのか。」

「これから全て話す。しかし約束して欲しい。」

瞳は真っ直ぐ朝兎を射抜く。視線を逸らせないほどの想いを感じた。

「今から話すことを、全て信じて欲しいのだ。」

それは約束であり、アリセの願いでもあるのだろう。

「わかった。」

朝兎は頷いた。







「何から話したらいいのかわからないな。」

「あんたがどこから来たのか、何者なのか教えて欲しい。」

少し眉間に皺を寄せてアリセは唸る。それも難しい話らしい。
しかししばらくして口を開いた。

「我々が住んでいる世界は【獣路(トレイル)】という名の世界だ。この世界…我々は【楼戸(ロウド)】と呼んでいるのだが、その世界の裏側のような物だ。
トレイルとロウドは相反しており、反発しながらお互いの生活、文化、環境を維持して成り立っている。
そこまではわかるか?まぁ余り深く考えなくていい。
お前たちの住んでいる世界がロウドでその他にトレイルという世界がある、方程式のように頭に言い聞かせればいいだけだ。」

そこで疑問を持ったら終わりだと思った。全てを信じる、そう約束した。疑いの念は捨てなければならない。

「【トレイル】はココとは寸分変わらない生活がある。ココより豊かな暮らしでは無いが、生活環境はさほど変わりは無い。
しかし大きく違うことが一つ。トレイルには【骸獣(ヴァーメイン)】と呼ばれる、言わばモンスターが出るのだ。」

「ヴァーメインって…。」

あの鳥かごの中で不気味な化物を蹴り飛ばした後、アリセが言っていた単語だったことを思い出す。
その表情を見てアリセはさらに付け加えた。

「あそこで出会ったのもヴァーメインの一種。お前が蹴り飛ばしたアレだ。」

「けどその…ヴァー、メイン?ってのはあんたの住んでるとこにいるもんだろ?」

「それが何故この世界、つまりロウドに来るのか。
相反し裏側に位置しあう世界、しかしそれはメビウスの輪のように繋がっているのだ。時に空間の歪が出来、そこからヴァーメインはロウドへと姿を現す。
トレイルではヴァーメイン討伐の為の組織がある。それは奴らが我々に危害を加えるからだ。
しかしロウドでは違う。奴らは人間の弱さ、妬み、欲望に巣食い、その心と体を蝕んでいく。ゆくゆくはそれを自らの体内に吸収し、より強くなろうという魂胆なのだ。
欲を得たヴァーメインはより強さを求める。その悪の螺旋を断つ為に我々はいるのだ。」

「じゃああんたらは『正義の味方』みたいなもんなのか?」

するとアリセは鼻で笑った。

「そんなに大層なモノではないし、正義の為に戦っている訳では無い。
我々はそれを利用した【ゲーム】に参加しているに過ぎないのだから。」

「ゲーム?」

アリセは頷いた。

「我々が参加しているのは【ジェイル】という名のゲーム。
ゲームのルールは簡単だ。ロウドに紛れ込んだヴァーメインを排除する。お前も見ただろう、ヴァーメインがチェス駒に姿を変えたのを。
ヴァーメインのランクによってその形が異なる。あれは下級のヴァーメイン故、駒の形は歩兵、つまりポーンだった訳だ。」

朝兎は公園での出来事を思い出す。チェスをしたことは無いが駒の形くらいは見たことがあったから容易に想像はできた。
確かにあの時の駒はチェスの中でも一番数が多い、シンプルな形の駒だった。

「ゲームに勝つためにはヴァーメインの力を凝縮させたチェス駒を、より多く【ジェイルの番人】に捧げなければならない。
参加者には一人ひとりノルマがあり、それに達さなければゲームに勝つことはできないのだ。」

朝兎はそこでふと疑問に思った。

「なんでそこまで必死になるんだ?そこまでしてゲームに勝ちたいのか?」

「ゲームの参加者が何故自らの危険を冒してまでロウドに来るのか。何故そこまで勝ちにこだわるのか。それは只一つ。
ゲームの勝利者はたった一つだけ願いを叶えることが出来るからだ。」

成る程…それであんな化物と戦い続ける訳か。

「私の願いは一つ、恩人を救いたい、ただそれだけだ。
私はある人に命を救われた。その人はそれと引き換えに自ら死を選んだ…。」

アリセの首にはあの金色の懐中時計がかかっている。だがそれは外に晒さず、服の下に隠れている。
アリセはそれを服の上からぎゅっと握り締めた。

「どうしても救いたかった。だから私はその人の魂をこの懐中時計に入れ込めた。
魂は今尚生きており、この時計の秒針が心臓の鼓動と等しい。つまりこの時計を止めてしまえばその人は命を落とすことになる。」


だからあれほど大事そうにしていたのかと思い出した。
しかし本当に信じがたい話ばかりで頭が混乱しそうになる。

一応全て鵜呑みにはしているけれど、本当にそんなことが可能なのか、本当にそんな世界があるのだろうか、疑いだしたらキリが無い。
しかし自分自身の目で見てしまったのだから信じる外は無いのだが。

「私はその人の魂を生かす為の代償を払うことになった。自らの魂を見ず知らずの人間に預ける、それが条件だった。」

「おいおい、まさか…。」


「勘が良いな。お前の思っている通りだ。
その銀色の懐中時計の中に私の魂が入っている。お前は私の魂を預かっているも同然なのだ。」


朝兎はそれを聞いて頭を抱えた。

よく考えろ。これは非現実的な話で本当かどうかもわからない。
魂を時計に入れ込む?そんなものは絵空事に過ぎない。言い聞かせている、けれどどこかで信じている自分がいる。

「お前もそんな曰くつきの時計を持っているのは重荷だろう。その時計がお前の大切な物ということはわかっている。それを知っての願い出だ。」

人の魂と自分の大切な物の価値を計りにかければ、それは当然、命を優先すべきだというのはわかっている。けれど、それでも迷ってしまう。
こんな自分は非道な人間なのだろうか。そんなことをふと思った。







「おにーちゃん?ご飯できたよ。」

突然空気を割って入って来たのは朝兎の妹、柚果だった。

「おかーさんがおりてきなさいって。」

夕食はいつも一階のリビングで家族揃って食べるのが常だった。
部屋に入って来て朝兎に抱きつく柚果の頭を撫でる朝兎。アリセはそれを見つめていた。

「ありがとな、ユズ。」

すると柚果とアリセの目線が噛合う。

「…おきゃくさん?」

「うん。にーちゃんの、お友達。」

友達なのか?と自問自答したが深く考えないことにした。今は誤魔化すことが優先だ。

「名前はなんていうんですか?」

柚果がアリセに問いかける。
しかし長ったらしい名前を言われては困ると思い、朝兎が割って入った。

「アリセって言うんだ。ユズ、自己紹介は?」

「しぎのゆずかです。よろしくおねがいします。」

そして深々とお辞儀をしてみせる。

「よくできました。」

朝兎は柚果の頭をガシガシと撫でてやった。
きゃっきゃと笑いながらじゃれ合っていれば、階下から瑞季の声がする。どうやら柚果に手伝って欲しいと言っている。それを聞いて柚果はバタバタと部屋を出て行った。

「妹か?」

「おう。飯、食うだろ?」

アリセは頷き、朝兎の後に続いて部屋を出た。



温かな空気とその雰囲気が台所を包んだ。
テーブルの上に並べられた食事。柚果はゆっくりとキッチンからサラダを運んでいた。

「アリちゃん、ハンバーグ好き?」

そう尋ねたのは瑞季だった。返答に困っていると朝兎が聞きなおす。

「キライなもんとか無いよな?」

アリセはテーブルの上の食事に目を通した。

「多分…平気だ。」

「ユズはねっ、はんばーぐ大好きだよ!」

柚果はそう言ってアリセのワンピースの裾を掴んだ。
ぴょんぴょんと跳ねながら笑顔を見せる。その姿にアリセの顔も綻んだ。

「ユズ、あんまりアリちゃんを困らせちゃ駄目よ。ほら、みんな座って。」

テーブルに四人が座る。アリセと朝兎が隣同士で座り、その正面に瑞季と柚果が座った。

「皆さん手を合わせて。」

これが鴫野家の食事の作法。アリセも見よう見まねで手を合わせた。

「いただきます。」
「いただきます!」

少し遅れてアリセも『いただきます』と真似る。
瑞季の作った食事を目の前にして、アリセは戸惑っていた。朝兎はそれを見て不思議に思う。
こういうことに慣れていないのだろうか?それともそっちの世界では食事の方法が異なるのだろうか。

「食えよ。母さんの料理はうまいから安心しろって。」

「ありちゃん、はんばーぐたべないの?」

「ユズ、お前アリセの分まで食いたいだけだろ。ニンジンちゃんと食えよ。」

隣で朝兎が柚果と話をしている。アリセはハンバーグを口に運んだ。

「…おいしい。」

すると正面にいる瑞季がにっこりと笑う。

「よかった。」

瑞季も、柚果も、そして朝兎も、みんな温かい。
その空気も雰囲気もアリセが初めて味わうものだった。



食事が終わってゆっくりしていると朝兎と柚果が言い合いをしていた。

「やだ!ユズ、ありちゃんと遊ぶ!」

「にーちゃんあいつに話があんだよ。だから今日はダメだっての。母さん!なんとか言ってくれよ。」

初めて家にやって来た『お姉さん』に柚果は興味津々だ。遊んでもらいたくて仕方が無いらしい。瑞季はそれをできるだけ優しくなだめる。
本当に仲のいい家族だと思っていると、棚の上にある写真に気が付いた。
思わず手にとって眺めてみる。朝兎はそれに気付いてアリセに近付いた。

「それだよ、死んだ親父。」

写真に写っているのは今より幼い姿の朝兎と柚果、その二人の後ろに瑞季と男性が隣り合って座っている。
その男が朝兎の父らしい。短髪で体つきのいい活発そうな男だ。少し、朝兎に似ている。

「この男…見覚えがある。」

朝兎はアリセの言葉を疑った。

「は?俺の親父のこと知ってんのかよ?」

半信半疑で尋ねればアリセは写真から目を離すことなく呟いた。

「縁というものか…。部屋へ行こう、ここでは話しにくい。」

アリセは柚果と瑞季を見た。朝兎もそれに同意し、また部屋へと戻ることにした。


部屋に戻るなり口をついて出たのは父親に関することだった。

「親父と会ったことあんのか?」

アリセはまたベッドに腰を下ろした。
少し伏し目がちにしている。話すのが嫌なのだろうか。

「…私の恩人の、ユートの友人だ。」

ユート…?どこかで聞いたことがあるような気がする…。

「間違いない、ユートが一度合わせてくれた。大切な友人だと言っていたからよく覚えている。」


ユート…ゆーと、ユウト、ゆうと―――。


「あっ!」

突然大きな声を出したせいでアリセがびくっと体を震わせた。

「思い出した!お前の言うユートって悠兎さんだろ!?俺も一度会ったことあるよ、たぶん!ちっさい頃だから確かな記憶じゃねぇけど。」

「本当か!?」

「ああ。親父の友達って聞いて可愛がってもらった気がすんだよな。また母さんに聞いてみるよ。知ってる筈だから。」

するとアリセは困ったように笑った。けれどそれはとても嬉しそうに見える。

「やはり縁というものだな。人はどこかで繋がりあっているのだ。
ジェイルの番人が見ず知らずの人間に魂を預けるなど在り得ないと疑っていたのだよ。
必ず私かユートに関係のある人間だと思っていたが、まさかそれがユートの友人の息子だとはな。」

本当に記憶はうっすらとしか残っていなかった。何の前触れも無く父親が紹介した人物、それが悠兎だった。
優しい顔立ちで、穏やかで、父親とは正反対な性格だった印象が残っている。けれど二人で話している時は本当に楽しそうだった。
父親は無邪気に笑い、悠兎も子どものように笑っていた。本当に忘れかけていた記憶だが今なら鮮明に思い出せる。

「ユートはどんな人に見えた?」

ふとアリセが問いかけた。

「優しそうで、穏やかで、面倒見のいい人だったよ。曖昧な記憶だし、長い間いたわけじゃないけどわかる。」

するとアリセは優しく笑った。

「そうか。」

小さく囁いた言葉にどんな意味が込められているのか、それはわからなかった。



その日の夜は朝兎とアリセと柚果の三人で眠った。
黒いワンピースではいくら何でも休めないということで、朝兎が使っている高校のジャージを貸してやった。
丈も肩幅もぶかぶかでまるで子どものようだ。けれど本人は初めて着る妙な服を嬉しそうに着ていた。

朝兎は柚果の部屋で眠ると言い張ったが、柚果がアリセと一緒に寝ると言って聞かなかったので三人で眠ることになった。
アリセと柚果はベッドで一緒に眠り、朝兎は床に布団を敷いて眠った。眠る前にアリセが小さく朝兎に呟く。

「いい家族だな。」

柚果は既に寝息を立てている。朝兎は真っ暗な天井を見ながら答えた。

「そうか?フツーだって。」

「赤の他人の私に優しくしてくれる。食事も美味しかったし、何かと気にかけてくれる。
こういうのは初めてなんだ。だから凄く嬉しい。」

どんな顔をして言っているのか、朝兎には当然わからない。

「おやすみ、アサト。」

そう言って布の擦れる音がした。

「おやすみ。」

それだけ呟いて朝兎は不意に手のひらを眺めた。
檻をこじ開けた時にできた傷は既に消えかかっている。
それを夢だと言い聞かせるかのように、ゆっくりと目を閉じた。







いつも通り何も変わらない朝。目を覚ませばベッドには柚果と見知らぬ少女。
起こしては悪いと思ってカーテンは開けずに部屋を出た。
階下では母親の瑞季が朝食の用意をしている。卵焼きの甘い匂いがした。

「おはよう、朝兎。いつもより早いのね。」

エプロンで手を拭きながら瑞季が言った。
時計を見てみればいつもより三十分も早く起きていた。

「ユズとアリちゃんは?」

「まだ寝てる。」

「顔洗ったら起こしてちょうだい。そうだ、アリちゃん学校はいいのかしら?」

朝兎はビクッとした。そんな細かい所まで考えていなかった。

「た、多分!預かってくれって言われたから、そのへんのことはなんとかしてあるんだと思う…。」

「そう、ならいいんだけど。」

冷や汗をかきながら朝兎はやり過ごした。



顔を洗い、鏡を見る。
昨日のことが全て夢だったら…そんなことをふと思った。このまま部屋へ行くとそこには誰もいない。いつも通りくたびれた布団が横たわっているだけ。

半ば願いながらも部屋のドアを開ければ、そこにはアリセと柚果が寄り添って眠っていた。
ため息をつきながらも朝兎は二人の体を揺する。

「ユズ、アリセ、起きろ。朝飯できたって。」

ユズはぐずぐず唸りながら顔をベッドに押し付ける。寝起きが悪いのはいつものことだ。
アリセは思いの外ぱっちりと目を覚まし、ベッドから体を起こした。朝兎はそれを横目で見ながら制服に着替える。

「何処か出かけるのか?」

「学校。」

「ガッコー?」

「そっちには無いのか?勉強する施設ってか、機関って言うか。」

「…無いことも無い。そこには私も行けないのか?」

シャツに腕を通しているとアリセはベッドから飛び降りて言った。
柚果はまだぐずぐずしている。

「無理。」

「何故だ。私も行きたい!見てみたい!」

「ちょっと待てって!今日色々考えてみるから。俺としてもお前をこの家に置いてくのはイヤなんだよ。」

アリセが一人で留守番をするというのは色々と不安が付きまとう。
勝手に外に出ないか、妙なことを口走ったりしないか、そんなある種の恐怖感に駆られながら学校で生活するのは苦痛だ。できれば目の届く所に置いておきたい。

「ユズ起きろ、下行くぞ。とりあえず今日は家で留守番してろ。変なことすんじゃねぇぞ!静かに家にいろよ。」

有無を言わせず朝兎は柚果を連れて階下へ向かう。アリセも二人の後に続いた。


朝食も四人で摂ることになった。
瑞季はアリセを気遣ってか色々聞いてきたが、それをどうにか朝兎が首を突っ込んでかわした。
瑞季は看護士の仕事をしている為、家にはいない。朝兎は学校があるし柚果も幼稚園に行かなくてはならない。必然的にアリセは一人、家で留守番をすることになるのだ。

「じゃあアリセ、大人しくしてろよ。行ってきます!ユズ、行くぞ!」

「おにーちゃん待ってぇ。アリちゃん、帰って来たら遊ぼーね!いってきまーす。」

アリセは柚果に手を振りながら閉じる玄関のドアを見つめる。
その横では瑞季も同じように二人を見送っていた。

「アリちゃん、一人でお留守番できる?イヤじゃない?」

瑞季は優しくアリセに問いかけた。
イヤ?それはどういう感情なんだろうか。一人ぼっちがイヤかということなのだろうか。
だとしたら答えは否だが。

「平気だ。ここにいればいいだけだろう?」

一人には慣れていたから、寂しいという感情が無くなる程に。
アリセは踵を返して朝兎の部屋へと向かった。ドアを開ければ朝兎の匂いがした。ほんの少しユートと似ている、優しい匂い。

アリセはベッドに顔を埋めた。自然と溢れてくる涙を堪えて。







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