ジェイル・ザ・ゲイム-Jail the Game-7







今度こそ本当に死んだ。


鴫野朝兎は確信した。

いつも見る夢の中にいるようだった。目を閉じて、黒い海に穏やかに浮いている気分だ。本の少しの恐怖と、心地よさ。妙な感じだ。
人というのは案外あっけなく死ぬんだなと思った。

よく走馬灯が駆け巡るとか言うけれど、自分は特にそういうことは無かった。後悔したことややり残したことがあるかを考えてみる。

ああ、母さんとユズに何も言えなかったな…。いきなり死んで困ってるだろうな。葬式とか色々あるし、親不孝もんで迷惑かけすぎだ。
あ、ユズに『やぶさめたろうくん』録画しろって言われてたのに忘れてたわ。文句言わずにちゃんとセットしてやりゃあよかったかな。
ってかレンタルしてた『やぶさめたろうくん・ザ・ムービー』返してねぇし。延滞料金取られちまうよ…ったく。母さん気付くかな。


「随分と呑気なこと考えてるもんだね、シギノアサトくん。」


その声を聞いてはっと目を開ける。しかし目の前に広がるのは闇だけだった。
辺りをきょろきょろと見回せば、暗闇の中に人が立っている。その人物は黒いフード付きのマントを被っているようで、目を凝らさなければ人だとは気付かなかっただろう。
けれど声を聞いて誰だか予想はついていた。

「あんた、死神か何かなのか?」

朝兎は腰を上げた。立ち上がってポケットに手を突っ込み、目の前の男を見る。

「まさか。あんな野暮なのと一緒にしないで欲しいな。」

フードを取ったのはレイトだった。

「それにキミは死んでいないから死神に会うことは無いだろうし。」

「なんだ、てっきり死んだかと。」

苦笑を漏らせば、レイトは呆れたような表情をした。

「アリセは生きてんのか?ってかここどこだよ。」

「アリセリアは【ジェイルの部屋】に監禁されてるよ。因みにココは【ジェイルの中】。ロウの下は必ずジェイルに繋がっていて、特別な場合に入ることが許される場所さ。」

「へぇ。じゃああんたは例のジェイルの番人ってヤツか?」

「まだ下っ端だけどね。だからアリなんかの監視を任されてた訳なんだけど。」

下っ端だからどうとか言う件はどうでもよかった。正直、聞いてもわからない。

「どうでもいいけど、その部屋ってのに案内してくれよ。アリセと話がしたい。」

するとレイトはいつもとは違う表情を浮かべた。
ニヤニヤ笑いでも、凍るような冷たいものでも無く、落ち着いた穏やかな表情だった。

「キミには話しておくべきだと思うんだ。」

「何を。」

どうせ聞いてもわからない話だと思った。だとしたら聞いているだけ無駄だ。

「聞きたくないかい?このジェイルという名の監獄に産み落とされた、可哀相な少女の話を。」

朝兎はそれを聞いて表情を変える。


「どうやら聞きたいようだから話してあげるよ。そもそもキミは聞くべき話なんだ。カノジョに関わった人間の一人なんだから。
少女の名前はアリセリア、世にも悲しいお話のはじまりはじまり―――。」







オレがアリセと出会ったのはアリセが生まれる前。このジェイルっていう世界の中で番人として仕えることになってからだ。
生まれはここロウドとは別世界のトレイルで、そこから番人になる為にジェイルに来たんだけど…まぁその話はまた今度。

そもそもこのジェイルっていうモノはなんなのか説明しなくちゃならない。

ココには絶対的な存在がいる。その名前が【ジェイル】。オレもまだ見たこと無いけど、ゲームの支配者であり言わば神的な存在さ。
ジェイルは定期的に子を生み落とすんだよ。生むって言っても姿形がわからないからどんな感じで、どう生まれてくるかはわからないけど。単なる比喩かもしれないし…。

それをオレたちは【ジェイルの堕とし子】と呼ぶ。

堕とし子とは名ばかりで人でも無く、獣でも無い、単なる黒い肉塊みたいなグロテスクなヤツでさ。でもそれを大事に育てる訳。
何故かと言うと、それがジェイルの後継者になるかもしれないからだ。
大抵は単なる肉塊で終わるんだけど、ごく稀にそれが脈を打ち始めることがあってさ。それを大事に大事に保護すると、そこから人間の赤ん坊が生まれるんだ。



あ、想像して気持ち悪くなった?だったらゴメンね。

でもそれがオレたちの仕事であり、役目なんだ。ジェイルが崩壊したらゲームの参加者は愚か、オレたちや、トレイルにまで影響が出るからね。
だから堕とし子を育てることは大切なことなんだよ。おわかり?



そして1992回目に生まれたのがアリセリア・シュワルツマドンナさ。

因みに回数は成功例だけを数えてるだけだから、肉塊のままだった失敗例や、脈を打っても人型にまでいかない場合は数には含まれて無いよ。
生まれてすぐに堕とし子には名前が与えられる。そして部屋が与えられるんだ。部屋という名の監獄みたいなモノだけどね。

アリセリアはそこでたった一人で生きてきた。誰と喋ることも無く、暗闇の中で、孤独に。
けれど成長したはいいもののアリセリアは失敗作だった。

いや、理由はオレにもわからないんだよ。聞いても答えてもらえなかったし、ただ『ジェイルの後を継ぐことはできない』とだけ言われてさ。
性別とかの問題じゃ無さそうだったけど…。

兎に角アリセリアは生きていてはいけない存在になった。


こういうパターンが一番厄介なんだよね。
そう、怒るなって。仕方ないだろ。
ココではそういう風にやってかないと次から次へと堕とし子がやってきて、終いには後継者が見つからないまま、みんな死んじゃうかもしれないんだから。


えっと、どこまで話したかな…。そうそう、ある程度成長してしまった場合の堕とし子の処理方法ね。
そういう場合はトレイルから慰魂師ってのを呼ばなきゃならないんだけど…。

それが全ての始まりだった―――。

慰魂師ってのはそう簡単になれるモノじゃないし、トレイルに一人ぐらいしかいないっていうかなり特殊な人なんだけど。
それがマナカユート、アリセリアが唯一慕う人物さ。

もちろん最初は言葉すら喋れる状況じゃなかったから、そんな関係にはならなかったけどね。
けれど何を血迷ったのか突然、マナカユートがアリを連れて行きたいって言い出したんだよ。連れてくって言うのはトレイルにね。
彼が意図してることはさっぱりわからなかったけれど、トレイルならジェイルの目も届きやすいからって許可を出しちゃったんだよね。

それが事の発端。


一週間くらいしてアリが言葉を発するようになって、マナカユートは『もしかしたら今からでも間に合うかもしれない』って言い出して。
つまりジェイルの後を継げるような人材になるかもしれないって言ったんだよ。

こっちは正直、用済みの堕とし子を今さらどうこうする気も無い。だから勝手にやってくれって感じでユートに預けたんだよ。

一ヶ月くらい経った頃かな、ジェイルにある報告が届いた。
マナカユートがロウドにアリセを連れ込んだって。その上、ジェイルは愚かトレイルにまで逆らってアリの命を救おうと逃亡した。


さぁ…ヤツが何を考えてたかなんてわかりはしないよ
。 最初からアリを救おうと思ってたのか、途中で気が変わったのか。

オレはその時、ただ造反者がいるって思ってただけだったから。ただ上の指示に従ってヤツを捕まえる為にロウド中を飛び回った。それだけさ。


あえなくマナカユートは捕まり、トレイルで見せしめにあった後にジェイルによって滅魂させられることが決まった。

滅魂は文字通り魂まで消されること。つまりもう一度来世で会おうってなクサい台詞が言えなくなるわけさ。
ああ、ごめんごめん。ついふざけたくなっちゃって。


そこで立ち上がったのがアリセリア。

短い間に何があったか知らないけど、なんだか物凄く大切な人って感じだったな。

それでジェイルの番人に交渉したんだよ。
交渉の内容は、マナカユートの魂と肉体の離別。
滅魂だけは避けようっていう考えだった。

それを条件に、アリセは自らの魂をキミの懐中時計に入れられることと、あともう一つ、しなければならないことがあった。

それは―――ジェイルという名のゲームに参加すること。

それがどういった意味を成すのかキミにはわからないかもしれない。けれど死ぬよりも辛い条件って言えばわかるかな?
アリにとって生きることは罪に当たる。ゲームに参加したらどうなると思う?さらに敵を増やすだけっていうのがわかるかな。
ゲームに参加すれば願いは叶うかもしれないけれど、ヴァーメインやゲームの参加者から当然狙われる。しかもトレイルからの刺客もいるし。


辛い生を選んで、アリはマナカユートの命を守った。





「めでたし、めでたし。という話だよ。何か質問はあるかな?」

言葉を発することができなかった。

アリセにそんな過去があったこと、当然ながら自分は知りもしなかった。
ずっとあいつは一人だったんだ。だから悠兎さんを大切に思っていた。自分の命を捨ててまで救いたい、そう思える人が悠兎さんだったんだ…。

「けれどアリは死を選んだからね。また元の生活に逆戻り。真っ暗で孤独な日々にコンニチワだね。」

さも楽しそうに笑うレイトの胸ぐらを掴む。
怒りに満ちた瞳で見据えると、レイトはそれに対抗するような視線を送った。

「怒りの矛先をどこに向けたらいいかわからない、ってカンジだね。」

朝兎の握り締めた拳を視界に入れ、レイトが呟く。その言葉は尤もだった。
こいつを殴ってやりたい、しかしこいつが何をやったという訳では無いのだ。レイトはただジェイルの番人としての使命を全うしているだけだ。

けれど怒りがおさまらない―――。

アリセが苦しんだのは誰のせいなのか。ジェイルという世界の存在か、アリセを生かした真中悠兎の存在か、自分自身のふがいなさか。

「安心しなよ。キミのせいじゃない。」

心中を察するようにレイトは言った。

「全てを疑ってかかったら、アリセリアが生まれてきたことを否定することになる。キミにはそれができない筈だ。
だからと言ってマナカユートやジェイルやトレイルのせいにすることも出来ない。そうしてキミは辿り着く。自分自身の弱さのせいだと。
そんなカンジだろ?キミの心の中は。」

まるで朝兎の心を見透かすかのようにくるくると舌を回す。
満足げな表情を浮かべるレイトに嫌気がさし、朝兎は胸ぐらを掴んでいた手を離した。

「アリセリアに会いたいなら、後ろのドアを開くといい。」

周り一帯が先も見えない暗闇だったと言うのに、振り向けばそこには一枚の扉があった。

「鍵なら貸してあげるから好きにすればいいさ。」

するとレイトは小さな鉄製の鍵を投げ渡した。

「…何を企んでやがる。」

疑うように食って掛かればレイトは嘲笑を漏らした。

「オレは何も企んじゃいないよ。ただお姫様を救うナイトのお手伝いがしたいだけ。」

やはり信用ならない。
しかし朝兎はその扉を開けることを決心した。




重厚な扉はなんの飾り気も無い鉄色をしていた。
所々錆び付いており、視線の高さに頑丈な格子がついている。両目が見えるほどの幅と長さで、レイトが監獄と言っていたのがわかった。
鍵も同様に味気ない錆び色のもので、ひんやりと冷たい感触が手に残る。

朝兎は意を決して鍵穴にその鍵を差し込んだ。


鍵をひねれば手に軽く手ごたえのようなものを感じる。普通の鍵よりは少し重いような気がした。そして扉を開く。
重く、ゆっくりと、悲鳴をあげるように軋みながら開いていく。

それを閉じてから部屋の中を見た。

部屋は扉を開ける前と同様、漆黒の空間が広がっていた。
けれど先の見えない黒では無い。様々なドレープを成す黒い布が、上から垂れているような感じだった。しかし部屋とは名ばかりで生活感も何も無い。



―――その中央に、アリセはいた。



これもまた真っ黒な、しかし上質なベルベットが張られた椅子に座りうな垂れている。腕は肘掛に拘束され、両足も椅子の足に括り付けられていた。
目隠しと猿轡もされ、まるで死刑囚のような格好だ。

そんなアリセを見て、朝兎は何を言ったらいいのかわからなかった。けれど、話がしたかった。言わなければならないことがあった。聞かなければならないことがあった。
意を決して朝兎は目隠しだけをそっと外した。
そこには虚ろな目が二つ、一切視線を動かさないまま生気を失ったように位置していた。

「アリセ、聞こえるか?」

一応問いかけてはみるものの、反応は無かった。
焦点が定まらない真っ黒な瞳。まるで人形に話しかけている気分だ。何も反応が無い上、この表情では話している方が虚しくなる。

けれど、朝兎は言葉を紡ぎ続けた。それだけが、アリセの意識を繋ぐ方法のように思えたから。

「なんだよ、さっきまで笑ってたじゃねぇかよ。」

自虐気味に微笑む。けれどやはり何も返事は返ってこなかった。


反応は無いにせよ、言葉は届いていると思った。そう信じたかった。
きっと自分から何か話せばアリセの心に届くと。

  自分のことを話すのは昔から苦手で、いつも人と距離を置いた。
一歩手前にいることで自分を守っていた。だから芹沢にも必要以上のことは話さない。

それを芹沢は水臭いと言うのだが、なんだか照れ臭いし、人と深く関わることに怯えている自分がいる気がした。
だから人を遠ざけるようなことを、わざとしていたのかもしれない。自分では気が付かなかったが、防衛本能のようなものがそうさせているのだろう。



「最初お前に会った時にさ、最悪だと思ったよ。厄介なもん拾っちまったって。
あの日は本当に…なんつーか、変だったんだよ。あの日一日が変な日だった。たぶん、運命みたいなもんなんだろうな。お前と会うようにできてたっつーか。
変な話はされるわ、挙句の果てにそれを全部信じろとまで言われて。
最初はそのうち諦めてどっか消えるだろうと思ってたし、お前と関わる気なんて無かったからなるようになるとか思ってたんだけど。

けど、俺の中でなんか変わってくのがわかったんだ。

お前が悠兎さんを失ったように、俺も親父を死なせちまった。俺のせいなんかじゃないのはわかってる。でも、そう思わずにはいられないんだよ。
お前もきっとそうだろ。自分が殺したと思ってる。それを背負いながら生きてきたんじゃないのか?」

アリセの首は未だうな垂れたまま、微動だにせずそこに座っていた。

「どっか似てるんだよな、多分。そう思うよ。
遊園地なんて久々に行ったりしてさ、最初は乗り気じゃなかったけど楽しかったよ。友達と遊びに行くなんて滅多にしないけど、悪く無いなって思った。

アリセ、お前がそう思わせてくれたんだよ。
俺もお前と同じだ。人と関わることが楽しいと思えたんだよ。」

朝兎はアリセの拘束を解いていく。
まず腕を肘掛から外し、そして両足を解放する。

「お前、言ってたよな。周りの奴らから俺を奪うわけにはいかないって。
それさ、お前も一緒なんだって。

お前がいなくなったら赤月、悲しむぞ。芹沢だって寂しがるだろうし。母さんも、ユズもきっと泣く。お前と関わった人間、みんな悲しむって。

なぁ、アリセ…なんで俺なんか助けたんだよ―――。

俺一人の命でお前と悠兎さんが助かるなら、殺せばよかったじゃねぇかよ…。バカだよ、お前。」

朝兎は俯いた。

何か熱いものがこみ上げてくる。それがどんな感情なのか、名前は付けられない。

「お前に助けられる義理なんてねぇ。会って三日しか経ってないんだからよ。
逆に俺がお前を助ける義理なんていうもんも存在しねぇ。だから―――。」

そして最後に、口の拘束を解いた。

猿轡を外してやれば、そこには半開きの唇がある。それはすでに機能を失ってしまったかのようで、それを見て間近に迫り来る死を感じた。
一層強く、心の底から、朝兎は問いかけた。



「信じて欲しいんだ。俺もお前を信じるから。だから言ってくれ。お前は―――。」







またあの孤独の中に放られるのか、そんなことを思った。
けれどそれでもよかった。それで大切だと思える人を傷つけずに済むのだから―――。



「お前の名前はアリセリア・シュワルツマドンナ。一九九二番目のジェイルの堕とし子だ。」

それが生まれて最初に聞いた言葉だった。

それからすぐに真っ暗な牢屋のような場所に入れられた。でもその時は平気だった。
暗闇も、孤独も、何も怖くなかった。

けれど、ある人に出会ってから急に全てが怖くなった。

ある日突然、死を告げられた。シッパイサクだからだとジェイルの番人は言った。
そもそも私は何の為に生かされ、何の為に育てられているのかわからなかったから、『死』という単語を聞いてもピンとこなかった。
当然、死という言葉の意味も知らなかったし、今の状況がそれと殆ど変わらないことだと思ったからかもしれない。

ジェイルの部屋にいる間は死んでいるも同然だったから―――。


そこに現れたのがユートだった。
ユートは私に独り言のように話をしてくれた。君の魂を安息に鎮める為にやってきた、ユートはそう言った。そこで初めて自分がどのような存在なのかを知った。
ジェイルという名の檻の中で育てられる、禍々しい子どもの一人だと―――。



何故かユートは私に興味を持ち、一度トレイルへと連れて行ってくれた。
後々なぜあの時私を連れて帰ったのかの聞けば、『魂が生きたいと叫んでいたからだ』とユートは言った。それは本当なのか、冗談なのかわからない。
そして言葉や、人間としての最低限の知識を与えてくれた。一週間で言葉を覚えれば番人も少しは考えてくれるかもしれない、そう言って何もかもを叩き込んでくれた。

私はユートが大好きだった。

私に生きることを教えてくれた、唯一の人間だった。
ユートと一緒にいれた時間はほんの少しだったが、私はその短期間の中でたくさんのものをもらった。一緒にいれた時間が本当に楽しかった。

けれど…何も与えることはできなかった。


だから私はユートを救いたかった。
私の手で魂と身体とが別々になってしまった彼を、どうにかして一つにしたかった。

そしてまた一緒にいれればいいと思った。

だって、何もできなかったから。
何も返せなかったから。
何もあげることはできなかったから。


 『ずっと一緒だ』


そう言って初めてプレゼントをくれたのもユートだった。

金色の懐中時計。

それはユートが親友と友情の証に貰ったものだと言っていた。



そんな、懐かしい夢を見ていた気がする。

ゲームの違反者はただでは済まない。
今回こそ滅魂か。ユートのことだけが心残りだが、悔いは無い。間違ったことはしていない。私はユートを失うことなどできないからだ。



失うことができないのは、ユートだけ?



誰か…大切な人間を忘れている気がする。


誰だろう―――。


『赤月、悲しむぞ』


ああ、思い出した。ノノだ。一緒にたくさん遊んで、笑って、仲良くしてくれた。トモダチだ。


『芹沢だって、寂しがるだろうし』


リンも大切なトモダチだ。ちょっと変で、馬鹿で、でも一緒にいて楽しい。


『母さんも、ユズもきっと泣く』


…ミズキとユズだ。二人とも優しくて、家族のように接してくれた。



『なぁ、アリセ』


誰だろう。

私の中の、忘れてはならない人が囁いている気がする。




『なんで俺なんて助けたんだよ』




――――――アサ…ト。




その瞬間、アリセの頭の中に洪水のように湧き上がる記憶。

まるで堤防が決壊したかのように次から次へと流れ込む、鴫野朝兎の記憶―――。




そうだ、アサトだ。


私を助けてくれた。
小突いて、文句を言って、からかってくれた。
家族の一人にしてくれた。
学校を案内してくれた。
一緒に笑った。
幸せをくれた。
喜びをくれた。



また、何も返せないままになってしまうのか―――。



『信じて欲しいんだ』


私は、信じるよ。


『俺もお前を信じるから』


本当に?


『だから言ってくれ』



「お前が、どうしたいのか。」



朝兎の唇から紡がれた言葉は、糸となりアリセの心に絡んだ。
徐々に、徐々にアリセの瞳に生が宿り、輝きが戻っていく。

朝兎はそれをじっと見つめた。心の中でずっと問いかけた。
アリセに向かって、言葉を投げ続けた。


 ああ、目の前に朝兎がいる。

助けられたのはこれで二度目だ。こんな薄暗い地の底にまでやって来て…馬鹿はお前だ。
けれどアリセの中に今まで味わったことの無い喜びが湧き上がる。



「…たい。」



アリセの口から小さく漏れ出す言葉。
そして大粒の宝石のような涙がぼろぼろと瞳から溢れ出る。枯れることを知らない湧き水のように、懇々と湧き上がる液体を朝兎は見つめていた。



「生きたいっ!」



アリセは泣きながら強い言葉で訴えた。
それを聞いて朝兎は不敵な笑みを浮かべる。


「俺はお前のその言葉を信じる。だからお前もこの言葉を信じろ。お前は俺が守る―――。」


その言葉に嘘が無いことを感じ、アリセは朝兎に抱きついた。





腕の中に確かな温もりを感じた。

ああ、アリセはここに居る。ここで息をし、涙し、生きている―――。
そんな簡単なことだがとてつもなく嬉しく思えた。こいつは生きたいんだ。
ただ生きたいだけなのに、誰からも許されなかっただけなんだ。

アリセの生を否定する人間が殆どならば、自分は肯定してやろうではないか。

寧ろ死んだらただじゃおかねぇ。意地でも死なせねぇ。

朝兎は肩に水の雫が落ちるのを感じながら、心の中で呟いた。
扉を背にしたまま、朝兎は背中に声を投げる。

「おい、そこにいんだろ。」

すると扉の小さな格子から猫目が覗いた。

「オレのこと呼んでる?」

わかっているくせに聞いてくる。本当に面倒な奴だ…。

「てめぇ以外に誰がいんだよ。ずっとそこで見てたんだろ。」

「あ、なんだ。バレてたんだ。随分と感動的だったなぁ。」

「悪趣味だぞ。」

あしらうかのようにクスクスと笑う。レイト・アムカマラは扉に背を預けた。

「話があるんだろう?」

この男はどこまで先を読んでいて、どこまで人の心を見透かせるのだろうか。
それもこれもジェイルの番人であるが故の能力なのか、それとも単に察しがいいだけなのか。

「交渉がしたい。」

朝兎がぽつりと暗闇に言葉を落とす。どうやらレイトはそれを拾ってくれたようだった。
しかし、預かったまま返してはくれない。
まるでその言葉を手のひらで弄んでいるかのようだった。

「シギノアサトくん、残念ながら契約はオレ一人の立会いじゃできないんだよ。とりあえず部屋から出てきてもらおうか。話はそれからだ。」

朝兎は腕の中にいるアリセを見た。
正直、このままここにアリセを一人残すのは心許無い。しかし出なければ話はできない。

未だ鼻をすする音が聞こえるから、泣いているのだろう。

「アリセ、聞いてたか?」

返事は無かった。朝兎はアリセの顔が見えるように、体の間隔をとる。

「すぐ戻ってくるから。だから少し待っててくれ。」

小さく言うと、アリセはこくんと頷いた。
泣き腫らした目は真っ赤で、どこか視点がぼんやりとしている。泣き疲れて眠くなったのだろうか。すると先程まで拘束されていた椅子に寄りかかりながらゆっくりと目を閉じ始める。

それを見て気持ちが落ち着いたのがわかり、朝兎は部屋を出た。









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