ジェイル・ザ・ゲイム-Jail the Game-9







きっかけは至極小さなことだった。
いい加減、嫌気が差していた。全てのことに対して。
慰魂師などという仕事をしていても心の中の靄は晴れず、寧ろ拡大していくばかりだった。全てのことが疎ましく思えて仕方が無い。
終いには、この世界の存在すら疑問に思えてくる。





「名はアリセリア・シュワルツマドンナ。1992番目の成功例だ。」

フードを被った番人が前を歩き、その後ろから一人の男が付いて行く。

「詳細までは語れないが、理由の一つとして成長の不具合が見られた。」

「不具合、と言うと?」

番人は少し考えるように黙り、それから口を開いた。

「徐々にではあるが成長が遅くなっている。何れ成長が止まる可能性もある。」

「故にジェイルの後継者にはなれないと。」

「そういうことだ。」

重い扉を開くと、そこには年端もいかない少女がいた。
椅子に拘束され、猿轡をされ、まさに監獄に囚われた囚人のようだった。

「マナカユート、では後は頼んだ。」

それだけ告げると番人はまるで自分には関係無いと言わんばかりに扉を閉めた。



  慰魂師の仕事はこれが始めてでは無かった。

トレイルで同じ仕事をしている人間はいない。故に堕とし子の処理は全て自分に降りかかってくる。けれどそれを生業としているのだから文句は何も言えなかった。
そもそも自分が選んだ仕事だ。後悔はしていない。

慰魂の儀式には様々な道具と呪文の詠唱が必要だ。
休みを挟まずに三日三晩かけて魂を癒し、浄化する必要がある。体力も想像以上に消費する。
またそれを習得するのにもかなりの労力と時間が必要なので、簡単にはなれない職業となったのだろう。

真中悠兎は準備をしながら少女を見た。
その時、今までには無いような感情を持った。
自身にもよくわからないが、目の前の少女に興味を持ったというのが近いかもしれない。

悠兎はそっと口枷に手を伸ばし、外してみた。

「…言葉は、喋れないのか。」

独り言のように呟く。しかし当然ながら返事は無かった。
ジェイルの堕とし子は生きることを目的に育てられているのでは無い。ジェイルの後継者となるために生かされ、世界の存続のために育成されているようなものだ。
例えそれが人間では無く、鶏でも牛でも、はたまた卵であろうとも、番人はせっせと育てるに違い無い。

「君には感情は無いのかい?俺のこと見えてる?」

少女に投げかける言葉も、全て部屋に反響するだけだった。
悠兎は小さく溜め息をついた。

「もう、うんざりなんだよな…命を奪うのは。」

慰魂師を目指した理由は簡単だった。
無残にも殺されていくだけの堕とし子の命を、自らの手でどうにか慰めたいと思った。ただそれだけだった。少しでも悲しみや恨みが消えて、魂を還してやることができたらいいと。

けれどそんなものは理想でしか無く、実際はまるで殺人者になったような気分だった。
結局は魂を葬っている。なんの罪も無いたった数年しか生きていない命を。

「俺は君を殺したくない。君は…えっと、そうだ。アリセはどうしたい?」

するとその声に反応するように瞳に光りが宿った気がした。
なんだかそれが生きる希望のように見え、悠兎はすぐさま部屋を飛び出した。

「彼女をトレイルへ連れて行きたいのです。」

この男は何を言っているのだと、そう思っているのが読み取れた。
けれど悠兎は一切引くことは無かった。

「何の為に。一体何を考えているのだ?血迷ったか、マナカユートよ。」

「今ならきっと間に合うと思うのです。彼女はまだ生きている。失敗作とは言っても折角の成功例ですから、もう少し足掻いてみては如何でしょうか。」

もうその話を聞くのもうんざりと言った様子だった。

「好きにするがいい。どう転んだとしてもアレは失敗作に過ぎないのだから。」

厄介者を追い払えてよかったというような態度だった。
けれど悠兎にとってはそれが有り難かった。あまり深く問いただされると面倒だ。

こうして真中悠兎はアリセリア・シュワルツマドンナを一時預かることになった。



少女は一切言葉など理解しているようには見えなかったが、悠兎が意志を伝えると黙って後を付いてきた。
トレイルにある自宅まで連れて行き、そこで最初は普通に生活をすることを決めた。
人間らしい生活をしてやりたいという気持ちが強かった。それによって感情が芽生え、言葉を覚えてくれれば一番いいと思った。

「今日からここで二人で暮らそう。何かあったら何でも言ってくれ。」

アリセの目は未だ生気が感じられない。ただ黙って頷きもせずそこに立っていた。
食事を出せば黙って食べ、部屋の中で動けば後を付いて来る。
まるで雛鳥を育てている気分だった。

悠兎はできるだけアリセに言葉を投げるようにしていた。それが例え自己満足でも、返事が返って来ないとわかっていても。
ある日トレイルの地位の高い人間から呼び声がかかり、悠兎は家を留守にしなければならなくなった。当然アリセを連れて行く訳にはいかない。

「ちょっとお偉いさんから呼ばれたから行ってくるな。いい子にしてろよ。」

頭をぽんぽんと撫でてドアに手をかけると足が引かれるのがわかった。
不意に目を向ければ、そこにはズボンの裾を引っ張るアリセがいた。



「ゆ…と。ゆーと。」



一瞬では目の前の出来事が理解できない。

「アリセ…?」

「ゆ、と。ヤダ。ゆーと。」

「お前…俺のことを呼んでるのか?行くなって、そう言ってるのか?」

するとアリセは小さく頷いた。
悠兎は耐え切れずにアリセを抱き締める。嬉しくて仕方が無かった。

「はははっ!でかしたぞアリセ!やったな!」

大口で笑う悠兎だったが、涙が出そうなほどに嬉しかった。

堕とし子だとしても、今まで幽閉されてきた罪の子だろうと、命がある。生きようとしている。感情も、自分の意志も持っている。
それが目の前で立証されたのだ。

歓喜にも似た感動が朝兎の胸を包んだ。



そこからアリセは目まぐるしい成長を見せる。
記憶力と学習能力は人間よりも高いようで一度覚えた言葉は忘れなかった。口数も段々と増えていき、悠兎とコミュニケーションを取る事も多くなり、今では…。

「ユート、ニンジンは嫌いだと言った筈だ。」

減らず口を叩けるまでに成長した。

「黙って食べろ!ったく…カタコトで喋ってた頃が懐かしいくらいだな。」

ぶつぶつと文句を言いながらも悠兎はフォークでニンジンを細切れにしてやった。

「美味しくないから嫌だ…。」

アリセは膨れっ面でニンジンを見つめる。
表情も最初よりは豊かになり、自分の思ったことも、感情も口に出すようになった。
それを見て微笑みながらも悠兎はアリセの口にニンジンを押し込める。

「いつまでもチビのままじゃ嫌だろ?ほら食え。」

こうしたささやかな喜びが、いつしか生きる楽しみに変わっていた。



トレイルに来て一週間の月日が流れ、悠兎はある決心をした。

「アリセ、一旦ジェイルの番人に報告しに行こう。」

その言葉を聞いてアリセの表情が曇った。

「大丈夫だから。俺に任せとけ。あ、でも聞かれてないことには答えるなよ?言葉を発することができることを見せたいんだ。わかるか?」

アリセは首を傾げる。

「とにかく行こう。俺が聞いたことに答えるだけでいいからな。」

こうして二人はジェイルに赴くことになった。



過去に味わった恐怖と孤独を思い出すのか、漆黒の闇に包まれるとアリセは悠兎の服の裾を引っ張った。そして背後に隠れるように後を付いて来る。
そんな姿もなんだか愛らしく思えて、悠兎は安心させるように頭を撫でた。

ジェイルの番人に会うのはそう容易なことではないが、それも慰魂師の特権だろう。
話がしたいと言えば比較的簡単に取り次いでもらえる。

「して、話とはなんだ。」

フードの男が目の前に現れる。

「以前お預かりしたジェイルの堕とし子の件でお伝えしたいことがありまして。」

「…朗報だといいが。」

「この一週間の間に、彼女は人間離れした成長を遂げました。ほら、アリセ。お前の名前は?言ってごらん。」

疑うように悠兎を見るアリセ。その背中を小突いて口を開くように促した。

「アリセリア・シュワルツマドンナ。」

自慢げに番人の顔を見る。と言っても表情はわからないが。

「お前が生まれたのはどこだ?」

「ジェイル。」

「俺の名前は?」

「ユート。」

「俺の家に来て何をした?」

「…食事をして、言葉を覚えて、文字を読めるようになって、色んなことをして楽しかった。」


上出来だ―――。
悠兎は心の中でそう呟いた。

番人を見ればそんなことには興味は無いといった感じだ。失敗作がどうなろうと知ったことではない、そう言っているのが手に取るようにわかった。

「彼女の学習能力は異常に発達しており、記憶力も侮れません。たった一週間で言葉を覚え、読み書きもでき、喋れるようにもなったのです。勿論、我々の言葉も理解できる。」

「マナカユート、お前の言いたいことは何なのだ。」

「今暫く彼女をお預かりしたい、ただそれだけです。」

すると番人はあしらうように言葉を投げた。

「トレイル内であれば問題無い。我々の目も届く上に、トレイルの人間もすぐに対応できる。貴様が何を企んでいるかはわからないが好きにするがいい。
但し我々がジェイルに悪影響を与えると判断した場合、1992号は即刻始末させてもらう。」

「了解しました。お許しを出して下さったこと、深く御礼申し上げます。」

悠兎は番人に深々と頭を下げた。


悠兎の狙いはアリセを連れ出すことにあったが、もう一つ確かめたいことがあった。
それはアリセに対する番人の興味がどの程度のものなのかということだ。

しかし先程の会話で読み取れた。

おそらく番人はアリセに対して関心はさほど持ってはいない。最初から殺す目的だったのだから当然と言えば当然か。
ただ引っ掛かっているのは、悠兎が何を企んでいるかということ。きっとその程度だろう。

「あれでよかったのか?」

アリセが不思議そうに尋ねた。それに柔らかな笑みで答える。

「ああ、十分だ。帰ろうか。」

そうして家路につくのだった。



二人で過ごす生活が日常と化した頃、突然アリセがぽつりと呟いた。
夕食を摂り、悠兎はコーヒーを、アリセはホットミルクを飲んで穏やかな時間を過ごしていた時だった。

「ユート…人は死んだら何処へ行くんだ?」

突然の畏まった質問に悠兎の動きは思わず止まる。

「ユートは死んだら何処へ行く?」

動揺が隠し切れなかった。
けれど悠兎の胸の内を知る由も無く、アリセは無垢な表情でじっと見ていた。

「死んだら、か…。天国か地獄か、どっちかじゃないのか?」

当たり障りの無い答えを選んだ。一般的に言われているような模範解答。
するとアリセは頬杖をつきながらぽつりと言葉を落とす。

「私も、天国か地獄へ行くのか?
私はジェイルで生まれたから、ジェイルに帰るような気がする。それでまたあの真っ暗な部屋に閉じ込められるんだ。そんな気がする。」

アリセの言葉を聞いて、言いようの無い悲しみが胸に突き刺さった。
ジェイルでの生活はアリセには死と同等なものだったのだろう。きっとまたあの監獄に戻ることを拒んでいる。

「例え死んだとしても…ユートと一緒がいいな。」

言葉も出なかった。
心臓を抉られるようだった。


きっとアリセは薄々勘付いているのだ。

自分が生まれてきてはいけなかったということ。生きていてはいけない存在だということ。
いずれは殺されるということ―――。

「アリセ…。」

悠兎は椅子に座るアリセの目の前に膝をつき、目線を同じ高さにした。
そうして胸に大きな決心を抱く。



「―――一緒に、逃げようか。」



その一ヵ月後ジェイルとトレイルを揺るがす報告が入った。


一人の慰魂師が、ジェイルの堕とし子をロウドに連れ去ったと―――。







男の夢は至極一般的で、ささやかなものだった。

結婚して、自分の家を建て、そこに子どもと暮らす。
笑顔が絶えない明るい家庭を築きたいと願っていた。
特別なことなど何も無くていい。普通に笑っていられればそれでいいと思っていた。



時に、願ってもいない出来事が起こることがある。

自分の意識の外側にあったものが不意に内側に侵入し、思いがけない事態を引き起こす。
この日も何事も無いいつもの日常だった。

夕食後の食卓にインターホンが響く。
台所には食器を洗う妻、リビングにはテレビに齧りついている子ども。
すると妻が食器を洗っていた手を止める。しかしそれに制止をかけた。

「あー、いいよ。俺が出るから。お前は新聞の勧誘でも、訪問販売でも相手するからな。」

そう言って玄関に向かう夫を見ながら妻は口を尖らせた。

「あいあい、今出ますよーっと。」

面倒くさそうに扉を開け、目の前に飛び込んできた光景に声を上げずにはいられなかった。


「久しぶり。」



「うおおおおーーーーーっ!悠兎じゃねぇか!ひっさしぶりだなぁ、おい!元気だったか?」

男は堪らずに悠兎にヘッドロックをかけた。
この男の歓迎の仕方はいつもこうだ。だが今はそれが無性に懐かしく、嬉しくもある。

「いたっ、ヨースケ、痛いってのこの馬鹿!」

「ったくなんだよ急に!来る時は連絡しろって言ったじゃねぇかよ!」

そして再び強力なヘッドロックをかける。

「耀甫さん、あんまりうるさいとご近所から苦情が…。」

「あ、瑞季。久しぶり。」

「悠兎くんっ!わあっ、本当に久しぶりね。」

奥からやって来たのはヘッドロックをかける耀甫の妻、瑞季だった。
自然と顔が綻ぶのがわかる。

「上がって、悠兎くん。すぐにお茶の用意するから。」

すると瑞季は再び台所へと行ってしまった。
二人の姿を見て元気そうで安心した。なんだか若返ったような気分になる。

「遠慮なんかするなよ。ほら、上がれって。」

耀輔が中に入るように促す。しかしそれにすぐに応えるわけにはいかなかった。

「耀甫、今日は連れがいるんだ。」

「あ?ついにお前も結婚したのか?隅に置けねぇやつだなぁ。」

ニヤニヤと笑う耀甫にすぐに否定の言葉を投げつける。

「違うって。アリセ、おいで。」

悠兎の足元に隠れるようにして耀甫の顔を覗き込む。
初対面の人間に対して緊張しているのだろうか。表情もいつもより硬い。

すると耀甫はしゃがみこみアリセと目線を合わせた。
口角をにんまりと引き上げ、笑顔でアリセの頭をがしがしと撫でた。

「初めまして。よろしくな。」

アリセは無言だったが抵抗はしなかった。
この男は誰にでもそうだった。人懐っこくて、有り余るほどの元気を振りまいて、いつも大口で笑っている。昔と何一つ変わっていない。

「うちにも同じくらいのがいるよ。」

そう言って二人を中に入れ、耀甫は玄関のドアを閉めた。



鴫野耀甫とその妻の瑞季は古くからの友人だった。

生まれはトレイルだが、慰魂師の修行という形で何年かロウドで生活をしていた。その時に出会った数少ない友人が二人だった。
部屋へ入るとテレビの目の前に座っている少年がこちらを見ていた。
初めて会う人間に対しアリセと同じような反応を見せる。

「朝兎、挨拶しろ。」

耀甫が無理矢理テレビから引き剥がし、悠兎の目の前に連れて来た。
膝を曲げてできるだけ目線を一緒にする。

「初めまして。お父さんの友達の、真中悠兎です。よろしくな。」

にっこりと笑えば目を逸らしながら朝兎は自己紹介をする。

「しぎの…あさとデス…。」

「よろしくおねがいします、だろ?」

耀甫は朝兎の頭を掴んで無理にお辞儀をさせる。
この男は本当に誰に対しても変わらない。例え自分の子どもであっても、こういう力任せな点は健在らしい。

朝兎は父親の手から逃げるようにして、再びテレビの前に戻った。
するとアリセもその後を追う。

見ていればどうやらテレビに興味を持ったようだった。最初はお互いに探るように顔を見合わせていたが、今では大人しく座ってテレビに張り付いていた。

「座れよ。積もる話が山ほどあるんだからよ。」

悠兎はその言葉に甘え、ソファに腰を下ろした。



暖かな空気が部屋に漂う。トレイルでの自分の生活とは大違いだ。

「急に連絡が取れなくなったと思ったら、ひょっこり現れやがって。」

まるで拗ねるように耀甫が言うのを見て子どものようだと思った。

「ごめんって言ってるだろ。忙しくてなかなか時間が無くてさ。」

「悠兎くんが忙しいのはわかってるから、気にしないでね。耀甫さん寂しいのよ。一番仲のいい友達がどこかに行っちゃったものだから。」

瑞季がくすくすと笑えば、すぐに耀甫がそんなんじゃないと反論する。
そうやってムキになるところも子どものようだった。

「名前だって悠兎くんからもらったのよ。」

「え?」

すると瑞季は未だテレビをじっと見つめる朝兎に目をやった。

「朝晩の朝に、ウサギで朝兎。悠兎くんに許可も取らないでつけちゃうんだもの。」

「うるせぇな。連絡が取れないんだから仕方ないだろ。」

「なんで朝っていう字、入れたんだ?」

すると目の前にあるお茶を一口飲み、耀甫が自慢げに口を開く。

「お前はユウトだろ?音だけなら夕方の夕だから、じゃあ反対の朝ってことで。」

その言葉につい悠兎は笑ってしまった。

「安易な名づけ方だな。頭の悪いお前らしいよ。」

「一言多いんだよ、お前は。」

こんなやりとりも久々で楽しい。
悪態をついたけれども、本音を言えば嬉しかったし、照れ隠しのために言った様なものだった。

「それよりあの子、どうしたんだ?」

耀甫がアリセを見る。

「…ちょっと今だけ預かっててさ。一人で留守番させるのも可哀想だから連れて来た。」

「ああ、そういう訳か。」

昔からそうだが、嘘を吐くのは毎回胸が痛む。それに少なからず慣れてきている自分がいるのが一番嫌だった。

「そう言えば、お前、アレまだ持ってるのか?」

「アレ?ああ、当然だろ。」

悠兎は懐から懐中時計を出した。
金の装飾が施された少々大振りな時計。それを耀甫に見せるように手のひらに乗せる。

「そういうお前は持ってんのかよ。」

「あのな、それを人は愚問と呼ぶんだよ。」

「じゃあ出せよ。」

すると耀甫は押し黙ってしまった。

「お前…失くしただろ。」

疑うように言ってみれば、耀甫は必死になって否定する。

「まさかそんな訳あるかよ!部屋にあるって!これは本当だから!
俺よく物失くしたりするからさ、持ち歩かないようにしてたんだよ。待ってろよ、今持ってきてやるから。」

「俺も行くよ。」

耀甫は少し不思議に思ったようだったが、半ば無理矢理部屋までついていった。



部屋にある小さな箪笥の一番上の引き出し。そこにそれは仕舞ってあった。
音信不通になる前に友情の証と言って交わした懐中時計。

偶々同じような物を持っていて、それを二人で交換した。懐かしい思い出が甦る。

「ほらな、あるって言っただろ?」

小振りな銀色の懐中時計を見て、なんだか少し安心した。もしかしたら自分だけ大切にしていたのかと思い、少し虚しくなったからだった。
悠兎は懐中時計を常に肌身離さず持っていた。最初は願掛けのようなつもりで持っていたが、今では持っていなくては落ち着かなくなってしまった。

「なぁ、お前さ…あの子、本当に預かってるだけか?」

不意に耀甫が口を開いた。
薄暗い部屋の中、階下からはテレビの音が響いてくる。

「―――どういう意味だ?」

妙に落ち着いた、冷ややかな声で尋ねた。
耀甫は昔から勘だけはよかった。ほんの些細なことでも異変に気付く。


それが厄介だった。


「まさか、誘拐なんかしてないよな?」

その言葉を聞いて悠兎は懐から無機質な黒い鉄の塊を取り出した。



慰魂師は何かあった時の為に銃を一丁持ち歩くことになっている。
時にジェイルの堕とし子が凶暴化して襲い掛かってくることもあるからだ。
慰魂師の為の特別な銃であり、それが護身用の武器ともなる。

悠兎は非情な瞳で耀甫を睨み拳銃をつきつけた。


「お前は昔から、勘だけは良かったよな。」

「どういうつもりだよ。とっととコレ、下ろせ。」

耀甫は臆することなく悠兎を睨んだ。
目の前に銃を突きつけられているのに、この気丈さ。本当に昔から変わっていない―――。

「それはできない。お前に知られた以上、生かしておく訳にはいかないんでね。」

「理由は何だよ。訳あってあの子を攫ったんだろ。」

その言葉に胸が痛んだ。
こいつは、いつもこうやって相手の気持ちを察してくれた。

「悪いが話すことは出来ない。」

すると耀甫は大きく溜め息をつく。


「いつもいつもお前は…そうやって何にも話してくれねぇな。忙しい、話せない、理由があるから、わかってほしい、そんなんばっかじゃねぇかよ!」


やめてくれ。もう喋らないでくれ。



俺の心が、揺らいでしまう―――。



耀甫はきゅっと下唇を噛んで俯いた。感情のやり場が無い、そんな感じだった。

「俺は、お前の親友じゃないのか?そんなに信用無いのかよ…。」


違う、違うんだ。
お前の誰よりも信じているし、大切に思っている。


だからこそ―――。


「隠し事は無しだって言ったの誰だよ…。」

揺らぐ心を必死で押さえつけた。どうしても非情にならなくてはいけなかった。
耀甫はすっと悠兎を見据えた。

今までとはなんだか雰囲気が違う。何か悟ったような、そんな表情をしている。そしてへらっと笑ってこう言い放った。


「いいぜ、殺せよ。お前の為に死ねるなら本望だ。」


小さく両手を挙げて告げる目の前の親友に、どうすることもできなかった。

こいつはいつだってそうなんだ。真っ直ぐで、どうやっても捻じ曲げることができなくて、予測できない答えを投げ返す。
湧き出てくるのは怒りと、悲しみと、ほんの少しの喜び。

けれどその喜びを噛み潰すように、悠兎は銃で耀甫の頭を殴りつけた。

「命だけは助けてやるよ。それがせめてもの情けだ。」

耀甫は頭を抱えてその場に倒れた。月夜に照らされた鮮血が、じわじわと床を汚す。


「最後にお前に会えてよかったよ。じゃあな。」


そしてその場を静かに立ち去った。

何もかも虚しく思えた。



生きているのが、辛いと思った。






逃げるように鴫野家を出て、アリセを引っ張りながら連れ去った。
瑞季の声は聞かないようにした。ろくな返事もせず、ただ足早にその場から離れた。

もうそこにはいたくなかった。

逃げ出したかった。

「ユート?どうしたんだ?何かあったのか?」

アリセは小走りになりながらも無言で早歩きをする悠兎についてくる。

大分歩いたところで急に立ち止まる。
もう疲れた。あんなのはもう懲り懲りだ。
そう思うと不意に涙が溢れそうになった。けれど必死でこらえる。

こんな所で泣くなんて、格好悪すぎるだろう。
きっとあいつは、耀甫はそう言って笑う筈だ。

「ごめんな、無理矢理連れ出して。もう少しいたかったよな?」

溢れそうな涙を、震える声を、必死で抑えながらアリセに問いかけた。
しゃがんで目線を一緒にしてやる。

アリセは何も知らない。何もわかっていない。
だからこうやって、純粋な濁りの無い目で見ているじゃないか。



「ユート、私はここにいる。絶対にどこにもいかない。だから、安心しろ。」



もう、限界だった。

アリセは今までに見たことが無い柔らかな微笑をくれた。


「アリセっ―――!」


道端で、アスファルトの地面に膝をつきながら、闇に溶けるように涙を流した。
アリセの肩にいくつもの水の粒が落ちる。

まるで子どものように嗚咽を漏らしながら泣いた。がむしゃらに泣いた。

初めての気の許せる人間だった。
親友だと呼んでくれた。
友情の証だと言って、時計を交換した。
誰よりも信じてる。誰よりも大切な人間なんだ。
全部全部覚えてる。馬鹿みたいに笑った日も、大喧嘩をした日も、その後に仲直りをしたことも、全部全部捨てることのできない思い出だ。



だからこそ、死なせたくなかったんだ。



あの時言ったことが全て嘘だとしてもこれだけは信じて欲しい。



最後の言葉だけは、真実なんだと―――。



全てを吐き出すように涙はぼろぼろと零れた。

アリセは黙って悠兎の頭を撫でていた。









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