泰尚浪漫警衛團-壱ノ三:軟派と硬派-








 翌日は休日で、栞華は久々に友人の巳緒子と出掛けることにした。
行き先は若者の街、四部野区(しぶやく)は原塾(はらじゅく)。

 四部野区の壱地区にしか過ぎない場所だが、其処にはありとあらゆる大衆文化の原点が詰まっている。
学生や流行に敏感な人間、そして何よりお洒落に敏感な乙女は原塾と云う街に来ることが多いのである。

栞華と巳緒子も其の中の一部であり、此の日も二人でお洒落なお店を覗いたり、クレエプなる舶来の甘味を食べ歩いたりと若者の街を満喫していた。
散々歩き回り疲れてきた頃、二人はカフェを見つけ其処で休むことにした。

 【カフェ・ミルクボウル】は有名なカフェの一つで、原塾のミルクボウルは一等大きな造りで有名だ。
近代的な装飾を施した外観に、其れを裏切らない内装。テーブルや椅子等、小物一つ一つがお洒落で有るが故、其の雰囲気を味わいに来る人も少なくは無い。
カフェには珍しく三階建ての二階に上がり、栞華はクリームソーダを、巳緒子は珈琲を飲んでいた。

穏やかな時間が流れる中、突然に黄色い声が響き渡った。

「きゃあっ!軟派と硬派の皆様よ!」

声を上げた少女が見るのは窓の外。然し其の場に居た全員が窓の外に目を向けていた。
栞華も同じように視線を向けた。



 本日は休日で有る為、原塾で一番大きな通りでは歩行者天国がとり行われていた。
ミルクボウルからも見える大きな交差点。其処には異様な光景が広がっていた。

十字路の交差部分を真ん中に挟み全く装いの異なる集団が群れを成す。
 南側に派手な色彩の服に身を包んだ集団。反対の北側に漆黒の洋装に身を包んだ集団。
一目見れば分かる其の出で立ち。

正しく軟派と硬派の面々だった。

「巳緒子、軟派と硬派って女子に黄色い声を上げられるような団体だったかしら?」

栞華は軟派と硬派という存在は知っていたものの、ラヂオのニュースで聞く様な知識しか持ち合わせていない。
故に双方が社会にどう云った影響を与えているのかはよく知らなかった。

「道理で騒がしいと思ったらほら、御覧なさいよ。今日は軟派と硬派のお偉いさん、お二方が来てらっしゃるみたいよ。」

文字通り巳緒子は高見の見物とばかりに、只ほくそ笑んで二つの集団を見下ろしていた。







 漆黒の高貴な制服に身を包む集団の名は【新日東帝國硬統派】(しんにっとうていこくこうとうは)。略して【硬派】(こうは)で在る。

もう一方の前衛的な服に身を包むは【新日東帝國軟柔派】(しんにっとうていこくなんじゅうは)。此方も簡略化した呼び名は【軟派】(なんぱ)で在る。

双方は反政府組織で有り、現在の日東國の在り方に疑問を持っている点では相違無い。
然し硬派は硬派の、軟派は軟派なりの國の在り方を望んでいる。

互いに抱く思想は差が有り過ぎた。



故に軟派と硬派は衝突し合い、其の抗争は何十年も前から続いている。
双方の争いが酷くなっていく中、段々と國家機関の手を煩わせる存在と成っていく両派。
政府や自警隊は手を煩わせることとなっていた。

此れ以上手を拱かせたく無い政府。

此れ以上抗争が続けば片っ端から制裁を下されると諭した二派。

其処で政府が提案したのは、両派と互いに協定を結ぶことだった。
こうして政府、軟派、硬派の三者間に不本意ながらも壊すことの出来ない壁が隔たったので有る。

 協定の内容は至って簡単だった。
二派は國民に傷害を負わせる事はしてはならないと云う理念の下、ある程度の治安を維持し、定められた金額を政府に収める。
治安を維持すると云う具体的な話は、主に都会を荒らすような輩や、陰謀を企てる集団を迅速に潰すこと等で有る。
また政府側には軟派、硬派間の争い事にはある程度目を瞑るということになった。


 現在では両派の國に対する貢献は大きなものと成り、國民にも其処まで悪い印象を与えないような集団と化していた。
其の様な暗黙の了解が有る為、政府が大きな声で二派を注意できなくなってしまったと云うのも事実である。

其の二派が今、原塾は大通りのど真ん中で対峙していた。



 北側に位置する漆黒の集団は、対峙する群集を見据えていた。

全員が同じ漆黒の洋装に身を包み、腰には日本刀を帯びている。
其の集団の中に、一人の男が腰を下ろしていた。
まるで戦国武将のように硬派の誰かが持ってきたであろう、背もたれの無い小さな腰掛に座り帽子を目深に被っている。男には何人たりとも寄せ付けない空気を纏っていた。
肩章付きの高襟マントが風に靡く。

「嵩平総長、やはり此処は目立ち過ぎます。早急に立ち去られた方が…。」

男は顔を少し動かし、声を掛けた男を睨んだ。

「気遣いの言葉には礼を言う。だがな、海澤(みさわ)…此れは作戦でも有る。今さら逃げる訳にはいかない。其れに…あいつの顔を見たら久しぶりに腸が煮えくり返ってきた。」

硬派総長・嵩平邦鳴(たかひら・くになり)はそう呟くと、向かい合う群集の中の一人を睨み付けた。



 「おうおう、睨んでやがるな。こっからでもわかるぜ。」

男は長髪を靡かせながらニヤニヤと笑った。

南側に群れを成す集団、軟派。
派手な色や模様の入った服を着、硬派とは正反対なのが外見で分かる。
或る者は洋装を取り入れ、或る者は着物を流す様に着、又或る者は見た事も無いような奇抜な格好をしている。

まるで仮装行列の様な集団の中に、ニヤニヤと笑い股を大きく広げしゃがみこんだ男がいた。長い髪を後ろで一つに結い上げ、極彩色の着物を着流しのように着ている。
男の名は弥城朋深(やしろ・ともみ)。新日東帝國軟柔派の総長である。
弥城の目線の先には鋭い目線で睨みをきかせている男が一人。

「こっちから出向いてやるか。来て欲しそうな顔してるからな。」

そう呟いて弥城は立ち上がった。



 「珍しいなぁ、硬派総長殿。今日はどういう風の吹き回し?」

交差点のど真ん中までやって来た弥城が挑発的に囁く。
其の言葉に嵩平が腰を上げると、すかさず傍に居た人間がマントを預かる。

「貴様と話をすると、頭に蛆が湧きそうだ。」

向き合う二人。其の姿に軟派、硬派の面々は息を呑む。

嵩平は弥城が心底嫌いだった。
軟派で有る以前に、此の人間の性格や言葉遣いや舐めくさった態度に苛立ちが増す。

「ひゃははははっ!俺って嫌われてんなあ。久々に会ったってのに其の言い草は無いだろ。」

今日も今日とて弥城はこうだ。何時もと何も変わらない。
まるでおちょくるかのように笑う目の前の男を、嵩平は冷酷な瞳で一瞥した。

「んな怖い顔すんなよ。可愛い女の子達が見てるぜ?当然だよな、こうやって二派の総長が頭揃えて来てんだから。然も硬派のタカヒラ様なんて滅多に見れやしないしな。」

本当に虫唾が走るほどに苛立つ。
目の前の男を何度八つ裂きにしてやりたいと思ったか。けれどその怒りを理性と云う名の蓋で押さえつける。
然し目の前の男も同じことを思っているのだろう。

「どういう風の吹き回しだ?珍しいよなぁ…人目に付くのも目立つのも異常に毛嫌いするあんたが、こんな原塾のど真ん中に来るなんてよ。」

「お互い様だ。貴様とて何時もは色町で遊び呆けている時間だろう。」

無表情の嵩平に対し、厭な笑みを浮かべる弥城。

「あんたも今度来るか?晋拾句の傾伎町(かぶきちょう)に良い店があってさぁ…。」

「誰が行くか。」

「相変わらず硬派なお兄様には冗談通じねぇな。」

間髪入れない返答に、弥城はまた不敵な笑みを浮かべた。
二人の後方には其々、両派の面々が固唾を呑んで待機している。何時、どのような機会にあっても攻撃が出来る体勢を取り、総長の指示を待つ。

「俺さ、面白い話聞いたんだよね。風の噂ってやつ?強ちウチの奴等の情報も腐って無かったっつーか、なんつーか。」

弥城の言う噂というものが何か、嵩平には手に取るようにわかる。きっと自分と同じことを考えているのだろうと予想がつく。

「どうせあんたも知ってるんだろうけどな。じゃなきゃこんな場所来ねぇだろ。」

何を言われても嵩平は一切表情を変えなかった。

「何の事だか俺にはわからないな…。」

白を切れば弥城は高笑いを漏らす。
大口を開け、気持ちの悪い笑い声を響かせるが、目は笑っていない。

「あんたが知らねぇ筈無ぇだろ。あの組織がどんだけ厄介な存在か、痛い程わかってんのは俺とあんたぐらいだからな。」


あの組織―――。


其れが一体何のことなのか、弥城の言葉が何を意味するのか。全て分かりきったことだった。きっと弥城も気付いている。互いに全てを知り尽くしていると云うことを。

「"あの一團"が完全体になっちまったら、俺等の肩身がまた狭くなるんだぜ?政府も余計な組織作ってくれるよな。」

「無駄話は其れぐらいにしておけ。」

同意を求める様に話す弥城を突き放すように言葉を投げる。
そしてゆっくりと腰に帯びた日本刀に手をかけた。

「俺は貴様の様な下等な人間と話をしに来た訳では無い。」

ひゅっと風を切る音がし、嵩平の構える日本刀の切っ先が弥城に向けられる。

「じゃあ何の為に此処に来たんだよ。俺等、軟派をぶっ潰す為か?其れとも―――餌撒いて獲物誘き出す為?」

うっすらと笑みを浮かべ、見下すように弥城が問う。

「愚問だな。」

そう言って嵩平はほんの少し口角を上げた。


「無論、両方だ。」



 言い放ったと同時に嵩平が弥城に襲い掛かり、其れを合図に後方の硬派、軟派の面々が互いに潰し合いにかかった。

巻き上がる土埃、咆哮、剣や刀がぶつかり合う音。

嵩平の日本刀が突き刺さるかと思った瞬間、弥城が武器を抜き取り其れを防ぐ。
金属音が辺り一体に響いた。

嵩平が日本刀を扱うのに対し、弥城は釵(さい)と呼ばれる十手に似たような武器を使う。
三又になった短剣のような物で、中央に普通の刃があり、櫛上の峰を持った珍しい物だ。
鍔迫り合いをしながら弥城が口を開く。

「突然攻撃して来るのは無しだろ…。」

「黙れ。」

冷酷に呟き、嵩平が弥城を振り払う。
弥城はまるで舞うように後ろへ宙返りをし、体勢を整える。

「久し振りだな、あんたとこうやって剣を交えるのも。」

さも楽しそうに話す弥城。然し嵩平は相変わらずの無表情で答える。

「貴様と剣を交えた記憶等、とうに消え去った。」

「本当にあんた、俺の事嫌いなんだな。―――嬉しくてゾクゾクするぜ。」

再び弥城の高らかな笑いが響いた。







 辺りに響いていた黄色い声が一瞬にして悲鳴に変わった。
原塾の一際賑わう交差点。其処で交わる黒の塊と多種多様な色を持つ塊。

軟派と硬派の抗争が始まった―――。

「何時もより派手みたいね。」

涼しげな顔で言う巳緒子だったが、栞華は息を呑んで其の光景を眺めていた。
初めて間近で見た二派の抗争は、まるで小さな戦争だ。

言葉が出ない―――。

國の為に争う姿は牙を剥き合う獣のようだった。此の平和な世の中でならば尚更、狂気染みたように見える。

ふと目線を真下に下ろすと、其処に見慣れた姿を発見した。
何人かの自警隊員が集まり、二派をどう取り締まるか相談しているように見えた。
其の中で指示を出している様な人間、間違いなく苑池警視だ。

「巳緒子、私ちょっと下に行って来る!」

「えっ?下ってどういう事!?行ってどうするつもりよ、ちょっと栞華!」

巳緒子の声も聞かずに栞華は走り去って行く。
既に姿の見えなくなった後を、巳緒子は仕方なく追う事になった。



階段を駆け下り、ミルクボウルを飛び出し、人混みを掻き分けて目指すべき人間の名前を呼ぶ。

「苑池警視!」

すると警視殿は其の声に直ぐに反応し、栞華を視野に入れる。
辺りは人だらけだった。歩行者天国ということもあってか、二派の抗争に群がる野次馬が異常な程に多かった。其れをどうにか掻い潜り警視殿の近くまで辿り着く。

「東三条君!何故君が此処に居るんだ?」

「其れは此方の台詞です。警視殿ともあろう方が何故此処に?」

警視という地位は自警隊の中でもかなり上位に当たり、こういった現場には滅多に来ないもので或る。
主に自分より下の者に指示を出す場合が多い筈だが、苑池警視はこうして現場に来ている。

「説明は後だ。兎に角此処を離れ給え。怪我人が出かねない。」

「一寸、待ってください!話がっ!」

「話も後だ。失礼。」

すると警視殿は栞華を置いて自警隊の輪の中へ帰って行ってしまった。


 
 其れから直ぐに自警隊の笛の音が辺りに響いた。
苑池警視は率先して指示を出し、軟派と硬派を取り締まっている。

「軟派、硬派の二派に告ぐ!此れ以上の暴動は第三者に被害を与えかねない!故に即刻退散せよ!抵抗をする者は無条件に連行する!繰り返す!軟派、硬派の―――。」

其の言葉で二派は争いを止め、武器を下ろし、散り散りになる。
両総長、嵩平と弥城も何時の間にか居なくなっていた。

 群衆の中、栞華は其れを見つめて待っていることしか出来なかった。其れが酷くもどかしく感じられた。
ふと視線を動かせば背後に息を切らした巳緒子の姿があった。
どうやら後を追いかけて走って来てくれたらしい。

「もう、勝手に走って行っちゃうんだから!」

「ご免、巳緒子。急ぎの用だったの。」

「御勘定だって私が支払ったんだからね。」

「後でちゃんと返すから!」

栞華は目の前で両手のひらを合わせて頭を下げた。渋い表情をつくり顔色を伺う。
すると観念したのか、巳緒子は溜め息を吐きながらも許してくれた。

「それより急ぎの用って何?まさか軟派か硬派に知り合いが居たんじゃなくって?」

栞華は其れを聞いて手をひらひらと振った。

「さっきまで二派を見たことなんて無かったのだもの、有り得ないってば。一寸話がしたい人がいて…。」

そう言って騒ぎのする方を見ると、警視殿が此方に向かって歩いて来るのが見えた。
どうやら一段落着いたらしい。隣に居る自警隊員と話しながら歩いている。
警視殿も栞華の姿を確認したらしく、歩みを速めて向かって来た。

「未だ居たのか、君は。危険だから離れろと言ったろう。」

「話も聞かずに何処かへ消えたのは誰ですか。」

「私は勤務中だ。公私混同は出来ない。」

「小心者。」

「其れと此れとは関係無いだろう!」

二人が言い合っていると巳緒子が不思議そうに尋ねた。

「栞華、此の方とお知り合い…?」

其の言葉を聞いて栞華は体を震わせた。
そうだ…巳緒子には話していなかった。―――否、話せなかったのだ。


 当然ながら浪漫團の事は巳緒子に話すことは出来ない。
いくら親友と言えど此れは國家機密。外部に漏らすことはならない。

然しどうやって警視殿と知り合った事を誤魔化せよう。
まるで走馬灯のように脳を回転させ、どうしようかと思案し続ける。そんな栞華に助け舟を出したのは他でも無い、苑池警視だった。

「初めまして。自警隊警視・苑池晃静と申します。栞華嬢とはお父上の縁で出会いまして、其れから何度かお食事をするような間柄です。以後、お見知りおきを。」

警視殿はそう言ってにっこりと笑い、握手を求め右手を差し出した。
流石は警視殿、誤魔化しもどうやら手馴れているようだ。

「お、お父様とお付き合いがあって、わ、私も偶にご一緒させていただくの!それでさっき下を覗いたら破廉…否、そ、ソノイケ様がいらっしゃったから!
事件の様子がどの様なものか気になってお勘定もそっちのけで来てしまったという訳!」

「栞華嬢は好奇心が旺盛ですからね。」

そして二人でわざとらしくアハハと笑う。
苑池様という栞華の呼び慣れない言葉に鳥肌を立たせつつ、互いに隠し事がばれぬよう必死で表情をつくった。

「そんな事だったら一言言ってくれたら良かったものを。
初めまして、警視様。栞華の友人の畠巳緒子と申します。栞華とは白百合の同級ですの。よろしくお願い致します。」

凛とした巳緒子の姿に警視殿は感嘆の息を漏らした。そして小声で栞華に囁く。

「君とは大違いだな。気品も有って、礼儀も教養も有る。同じ女学生とは思えない。まるで月とスッポン、否、アンパンとカンパン程に差があるな。」

「余計なお世話です。其れにアンパンもカンパンはどちらも美味ですから。」

二人は巳緒子に気付かれないよう、表情を崩さぬまま密かに言い合いを続けた。



 此のまま続けていてもキリが無いと判断した警視殿は気になっていたことを問い掛ける。

「其れで、話と云うのは何哉。」

すると栞華はちらと巳緒子を見る。

「此処では一寸…。」

警視殿は言葉を濁した理由を悟ったのか、栞華の言葉を制した。

「それでは今晩、父君とお会いする約束があるので其の時にでも。」

当然ながら警視殿と父が会う約束などは無い。 栞華は"今晩"と云う単語を聞いて忘れかけていた事を思い出した。

"毎晩子の刻・零時に会議"

警視殿の言葉が何を意味しているのか理解する。おそらく今晩、会議の為に迎えに来ると言っているのだろう。

「其れでは其の時に続きを。お父様にもよろしくお伝えしておきます。」

「有難う。其れでは今日は失礼。事件の後始末も有ります故、では。」

そうして警視殿は軽く会釈をし、其の場を立ち去った。



 警視殿がああして任務を全うしている姿を見るのは初めてだった。
今までは単なる破廉恥警視としてしか認識していなかったが、下の者に指示を出したり、二派を取り締まっている所を目の当たりにすると、
警視という肩書きだけでなく実力も伴っている事を確認せざるを得ない。
栞華はほんの少し、苑池晃静という男を見直していた。

「一寸、あんな方と知り合いだなんて初耳だわ。」

考え事をしている栞華に向かって、巳緒子が少し膨れっ面で言葉を投げる。
巳緒子が機嫌を損ねるのも無理は無い。
今まで二人は親友として付き合ってきた。故に二人の間に隠し事や秘密事は無かったからだ。

「何度かお食事をしたくらいで、そんなに親密な仲でも無かったの。本当にお知り合い程度だったから。」

「あら、本当かしら。私はてっきり許嫁か何かだと思ったわ。」

探るような巳緒子の言葉に、栞華はぶんぶんと首を大きく横に振った。

「有り得ない有り得ない有り得ない!!!結婚も無ければ許嫁も無し!
ましてあんな破廉恥警視となんて天地がひっくり返って重力反比例が起こっても有り得ないからっ!!!」

「破廉恥?あの方、破廉恥なの?」

「あああああああ!!!今のは聞かなかったことにして!」

つい口を滑らせてしまった栞華とは裏腹に、巳緒子はうっとりとした表情を浮かべている。

「でもあの方、とっても素敵な殿方ね…。背も高いし、美形だったし、其れにあの若さで警視だなんて将来有望ね。」

「止めといた方がいいわよ。あの人、小姑みたいに口煩いから。」

苦虫を噛み潰したような表情で栞華は言葉を放った。
其れに対して反論されるかと思っていたが、巳緒子は栞華の言葉にくすくすと小さな笑みを漏らす。

「知り合い程度の割には仲が良さそうね。」

「ど、どこがっ!あんな小うるさい人。」

「そうやって悪態をつけるのが仲の良い証拠よ。」



 二人でそんな話をしていると、再び黄色い声がこだました。

先程よりは小さい歓声だが女子の賑やかな声がする。
声のする方向を見ると、其処には行商人らしき人物が簡易的な店を開いていた。まるで屋台か出店のような簡単な物で有る。

「はいはいちゃんと並んでぇー。押さない、押さない。順番は守ってねぇ。」

人だかりの中に埋もれる行商人が背伸びをしながら声を掛けている。
二人は何かと思い其方に目を向けた。

「何かしら、あれ。」

「さあ…。」

すると店の横に看板が立っているのが見えた。此れも店同様に手作りのような、簡易的なものだった。
其の看板には硬派総長、軟派総長らの写真が飾られている。他にも美形と称されるような男子の写真がここぞとばかりに飾られていた。

「はいはい、硬派と軟派の生写真、ブロマイドは如何―。一枚千円からー。稀少モノもあるよー。」

どうやら二派は偶像化され、其れを商売にしている人間がいるらしい。原塾ではよく見る光景だった。
二人は興味が無いとばかりに其処を立ち去ろうとする。

「其処のお嬢さん方、如何ですか?」

少し長めの髪を結い、簪を挿した男が此方を見てにやりと笑う。
化粧もしているようで線も細い。まるで女性のような人だった。
栞華が目を奪われていると、巳緒子はぷいとそっぽを向いてすたすたと歩いて行ってしまう。急いで其の後を追いかけた。

「巳緒子、待ってよ。どうしたの?」

「私、ああいう頭の軽そうな人は嫌い。」

むっとした表情を浮かべて足早に歩く巳緒子。
歩調を合わせながらも振り向けば、未だ行商の男は厭な笑いを浮かべて此方を見ていた。







 其の日の夜は雨だった。

どしゃ降りでは無く、しとしとと静かに水の粒が落ちるような穏やかな雨。
幼い頃に有った日の事を思い出す。
其の日は今日とは違うどしゃ降りの雨だった。まるで盥をひっくり返したような、酷い雨。

そして最悪の出来事が起こった暗い日だった。

部屋で窓の外を見ながらぼんやりと思いを巡らせていると、暗がりの中に自動車の音が聞こえてくる。光が雨を掻き分けて庭にやって来る。
其れから直ぐに家の扉を叩く音がした。


 深夜の外出はさせて貰えないだろうと高をくくっていた栞華だったが、帰宅早々に父が話を聞いたと伝えてきた。
どうやら久世幡総統が上手く誤魔化してくれたらしい。
父の話によると栞華は政府からの指名により、其の実力を買われて日東國お抱えの研究所で研修を行うことになった、と云う話になっているらしい。

「文学班とは栞華にぴったりだな。流石は白百合首席、お前は私の自慢の娘だよ。」

父は微笑んで栞華の頭を撫でてくれた。
親馬鹿ぶりを発揮されている時は面倒だと思うが、やはり尊敬すべき父親である。
故に褒められるたびに愛を感じ、其の笑顔を見ると安心できるのだった。



 栞華が玄関の吹き抜けまで行くと、苑池警視が父と話をしていた。
帽子を取り、父に頭を下げている。雨が降っていたせいか少し方が濡れていた。

「栞華、丁度呼びに行こうと思っていた所だ。苑池君が来て下さったぞ。」

すると二人は視線を栞華の方へ寄越す。警視殿は小さく会釈をした。

「夜分遅くに申し訳ありません。栞華嬢、お迎えに上がりました。」

「有難う御座います。」

「深夜外出は愛しい栞華の為に止めたい所だが、送迎もきっちりして頂けるそうだからな。其れに苑池君ならば安心して栞華を任せられる。よろしく頼んだよ。」

父・聡明の言葉に警視殿は顔を綻ばせる。

「お父様、そんなに心配しなくても大丈夫ですわ。私が國のお力になれるのですから、もう少し喜んで下さいな。」

すると聡明は渋い顔をして眉間に皺を寄せた。

「頑張れと言いたい所だが、どうにも愛娘の事が心配なのだよ。分かる哉、苑池君。此の娘を想う父親の愛が!
夜道を若い男子と二人きりだなんて…考えただけでも不安で仕方無いのだよ!」

「お父様、妙な考えを起こさないで下さい。」

冷めた表情で呟く栞華に対し、警視殿は苦笑を浮かべた。

「ご安心ください。私は彼女を研究所まで送り届けるだけですから。」

「心配は無用です。少しは娘を信用して下さい!其れでは行って参ります。」

「栞華。」

未だ何か言い足りないのかとうんざりした表情で父を見る。

「余り無理はしないように。気をつけてな。」
やはり最後は穏やかな、優しい表情だった。其れを此の上無く嬉しく感じる。
二人は聡明に見守られながら宵闇に消えていった。




 雨粒が自動車の窓を這う様にして流れていく。
栞華は静かな夜が嫌いだった。雨の夜は特に。
こういった日は要らぬ事まで思い出し、考えてしまうから。

「眠くは無い哉。到着するまで眠っていても構わないが。」

「否、何時もこのくらいの時間までは起きています故。」

警視殿は小さく「そうか」と呟いた。

 今回で迎えてくれたのは前に乗った豪奢な車では無く、小さな乗用車だった。
警視殿自身が運転をし、助手席に栞華が腰を落ち着かせる。後部座席は無く荷物入れになっている仕組みだ。
【でんでん虫】と云う名の愛称が付いた輸入車で、正式名称はリトル・クーパー。二人乗りの玩具の様な自動車だった。其の外観から【でんでん虫】の由来が伺える。

「昼間言っていた話と云うのは?」

雨音と自動車の走る音がする中、警視殿が口を開いた。


でんでん虫は小さなでこぼこに堪えられるようなつくりにはなっておらず、車体が大きく揺れる。

「私、軟派と硬派についてはよく知りません。大した知識もありませんし、テレビジョンやラヂオで聞く程度の情報しか持っていないのですが…。
今日のあの抗争、何かおかしいと思いませんか?」

昼間からずっと引っ掛かっていたことを警視殿に打ち明ける。

「おかしい、と言うと…?」

栞華は深く唸り、考え込んだ。

「何がどうとは上手く言えないのですが…。
私は、二派があんなに大きな場所で、然も歩行者天国が行われている原塾で抗争を起こした意味が分からないのです。何時もはもう少し小規模な場所でやっていませんか?」

栞華の中に在る二派の数少ない情報を辿れば、今日ほどの派手な抗争は殆ど無かったように思える。
彼等は他人を傷つけることを好まない。故に人通りの少ない場所や、騒ぎの起きない様な場所を選んでいた筈だった。

「確かに…。原塾の大交差点は規模が大きすぎるな。」

警視殿も同意するように呟いた。

「然も両派の総長まで頭を揃えて…。そんな事って今まで有りましたっけ?」

「有ったとしてもかなり前の話だ…。特に硬派の総長は人目に付くのを異常な程に嫌っているからな。」

「でしょう?なのに何故、突然に公になるような場所で争いを起こしたのでしょう。私には解りません。」

栞華は其れだけ言って口を噤んだ。警視殿も唇を結び、深く考え込む。

確かに厭でも目立つような場所で二派が抗争を起こしたのは久々だった。軟派と硬派の間には稀に大きな衝突が起き、其の度に大規模な抗争が起きていた。
そう云った場合には晋拾句や原塾で争いが起きる。
大規模な争いに成る前は少なからず情報が入ってくるのが常だった。まるで火種が燻るかのように、二派が衝突するであろうと云う予測が付く場合が多い。

だが今回は自警隊にそんな噂など微塵も入ってこなかった。

此の少女、侮れない存在なのかも知れない―――。

警視殿はちらと栞華を見た。
どうやら未だに悶々としているようだが、見た目は年端もいかぬ女学生。やはり久世幡総統が目を付けるだけのものは持っているのだろうか。

「私、硬派と軟派を間近で見たの初めてだったんです。まだまだ勉強不足ですね。」

「普通に生活していれば其処まで興味を持たないのも仕方ないだろう。
浪漫團が自由に使える施設は多々有る。此れから知識を得ていけばいいさ。
予定より早く到着するかも知れない。少々待つかもしれないが良い哉。」

「構いません。」

「すまないな。」

車は帝國議会議事堂に到着した。以前、久世幡総統と話をした場所だ。
警視殿が先に降車し、真っ黒な傘を差す。そして助手席のドアを開け、栞華の手を取った。

「浪漫團が使用できる施設は主に帝國議会議事堂の地下に備えて有る。殆ど自由に使えるから、また後日一通り見ておくと良い。」

「有難う御座います。」

栞華も地面に足を付ける。雨は未だ降り続いていた。








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